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ゴジラ S.P<シンギュラ・ポイント> 第10話「りきがくのげんり」感想

おわりのはじまり

世界が紅く染まる時、黒い破局が目を醒ます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回熱線を吐いたかと思われたゴジラ・テレストリスですが、今回冒頭にてお披露目したのは意外にも輪っかの熱線でした。突如現れた巨大な黒いラドン(本作のラドンで1番実写のラドンっぽかった)に向けて放ったものは『ゴジラの息子』でミニラが序盤撃っていたようなリング状の熱線だったのでちょっと拍子抜けしてしまうところがありました。まぁ放った直後にそのラドンを一撃で落としたのですぐにびっくりしましたが。むしろリング熱線でこれなら普通の熱線を放った時どうなるんだ?という期待が高まりましたね。

 そんな想いを抱きながら見ていたらついに来ました、真の放射熱線が。紅塵の中で自衛隊の砲撃を受けながら現れたゴジラは、最終形態であろう「ゴジラウルティマ」に。我々が良く知るゴジラの姿に完全になったウルティマの背びれが青白く光り、口から発射した熱線がビルを貫き、破壊するシーンには計り知れない衝撃を受けました。たった一撃で東京を火の海にする圧倒的な力には絶句するほかありません。(撃ちだす前の溜めの動作の際、口の前に無数の光の輪を出現させた辺りからも、前述のリング熱線が進化したものだということがわかります)

 またウルティマが登場してからのアニメ演出も見事でした。ゴジラならこれ!とも言うべきゴジラのテーマ」がコーラスが流れた時などは感銘を受けましたね。伊福部昭*1が作曲したテーマのアレンジですが、オリジナルの恐怖を煽るテイストを残しつつ、どこか荘厳なコーラスを加えた内容に思わず聞き入りました。紅塵と炎の中で悠然と歩くウルティマの神々しさもあって、まるで「ゴジラの誕生を祝福する讃美歌」のようだ・・・・・・と個人的には思ってしまいます。映像の完成度と相まって、ラスト数分はファンにはたまらない時間でしたね。

 ここまで長いことゴジラの到来を待っていた分、期待以上のものを見せてもらい大満足でした。しかし本番はここからで、圧倒的な力を持つゴジラを前に人類はどのように立ち向かうのか、そこで繰り広げられる人間たちのドラマとは、といった要素が気になってきます。個人的にはそれこそが怪獣映画の醍醐味だと思っているので、大暴れするゴジラも含めてこの先の展開を楽しみにしていたいですね。

 

 

  • 選ばれた2人?

 怪獣パートではゴジラの存在感に圧倒されるばかりだった一方、ユンと銘の主人公2人のパートも佳境を迎えつつありました。銘のメールを受け取ったユンとハベルは葦原の手がかりを探すため1話で侵入した洋館に再度訪れますが、葦原の遺した数列の意味を解き明かす中でユンと銘のチャットの内容が予知されていたことがわかった時は鳥肌が立ちましたね。つまり葦原は50年前に2人の会話を視ていたということでしょう。

 これにより、以前言及されていた「葦原が答えを知っていたとしたら?」という仮説が「葦原は2人の会話を視たことでアーキタイプの構築を知ったのではないか」という可能性に変わりました。葦原はアーキタイプの答えを知れたもののそこに至るまでの過程を2人の会話から読み取ることが出来ず、理論の証明のために様々な研究に没頭していたのではないかと思われます。怪獣出現の予言や破局についてももしかしたらユンたちから得た情報だったりするかもしれません。

 またこの件でミサキオクとオオタキファクトリーの関係もおおよそ読めてきました。恐らく葦原はユンがオオタキファクトリーに所属する未来を予知しており、彼を後々事件に関わらせるためにオオタキファクトリーとの交流を事前に行っていたのではないでしょうか。銘の研究所の教授との関係も同様で、自分が視た未来を確実にするためにユンと銘との繋がりを確保していたように思われます。劇中佐藤さんが葦原について調べた中で「地下の骨を監視するためにミサキオクを設立したものの、葦原が死んだことで形骸化したマニュアルだけが残った」と発言していましたが、そのマニュアル自体ユンと銘を引きわせるために用意されたもの、なんて考えも浮かんできてしまいます。

 そんな葦原に選ばれたユンと銘の会話にはさらに4日後のものが存在する模様。果たして4日後に2人はどんな話を繰り広げるのか非常に気になります。葦原がここまで2人に入れ込んでいる以上、ただの会話ではないことであろうことは確かです。一気に話のスケールが大きくなってきたので、もしかしたら破局を回避する方法を見つけるのかもしれない?などとそんな期待を膨らませてしまいますね。

 

 

  •  終わりと始まりの子守歌

 さて今回もう1つ気になったのがこれまで度々流れてきたインド民謡について李博士とのかつてのやり取りを思い出しながら(最初見た時は李博士が生きてる!?と歓喜しましたが、回想とわかったことで博士の死亡が確定してしまい、げんなりしてしまいました)インドに辿り着いた銘の前にBBの娘である「リーナ・バーン」が現れ案内してもらうことになりました。正直BB本人との顔合わせする銘のことを心配していたので、まだ話が通じそうな娘の方が来てくれてちょっと安心しましたね。

 そんなリーナの運転でBBの元に向かう最中、例のインド民謡が「子守歌」であることが判明してちょっと驚きました。しかもリーナの説明によると・・・・・・

 

  • 別れの歌、もしくは出会いの歌
  • 分かれた川は二度と1つには戻らない
  • 亡くした(失くした?)人は帰らない
  • 最後はみんな海で1つになる

 

などといった不穏なワードが飛び交うので聞いていてゾッとしました。川や人が戻らないと言いながら、海で1つに戻る、というどこか矛盾しているようにも思える内容に恐怖を覚えずにはいられません。

 そして戻らない、生き返らないといった“不可逆性”に対し、海に帰る最後から、この歌はもしや“輪廻転生”を歌っているのではないか?と思いました。同じものには絶対に戻れないものの回り巡っていき元の場所に帰る命、あるいはそれに相当する何か(時間?現象?)をこの子守歌は示しているのではないでしょうか。例の骨がこの音楽を流すのも、全ては繰り返していることを意味しているように思えてなりません。この何かとこちらの思考を揺さぶって来た音楽ですが、ここからいよいよ全貌が明かされそうでワクワクしてきます。

 

 

 ではまた、次の機会に。

*1:1914年5月31日-2006年2月8日(91歳没)。ゴジラ以外にも日本の作曲家で日本の民族性を追求した管弦楽曲などを手掛けた。緊急地震速報のチャイムの作成もした。ちなみに、実はイラストレーションにも精通していて独自のイラストを作詞のスコアなどに描いていたとか。(当人曰く「作曲家にならなければ絵描きになっていた」とのこと)