しんじつのその先へ
惨劇を覆せ
去年の10月に放送された『ひぐらしのなく頃に 業』。平成ゼロ年代のサブカルチャー文化を築いた数多の作品の一角である『ひぐらしのなく頃に』のリメイクかと思いきや、完全新作ということで当時多くのファンに衝撃を与えました。ネット上で考察が飛び交い、大いに盛り上がったことは記憶に新しいです。
しかしながら続く『ひぐらしのなく頃に 卒』では尻すぼみしてしまったような物語が続いてしまい、どこか不満の多いまま終わってしまった印象を受けます。僕自身本作に対して苦言を呈したい点は少ないないです。
しかしながら本作を見て、あの物語に隠された作者なりの「メッセージ」のようなものも個人的に感じ取りました。というわけでそんな『ひぐらし業/卒』を見て感じた僕なりの考えを、書いていきたいと思います。
- 多面的な物語
まず様々な新しい形を見せた本作ですが、個人的にはこの新しい形にある種の「多面的」な要素を感じました。ここでいう「多面」とは、「人や物は場合によっては如何様にも変化する」という意味合いがあります。
最も代表的なのが沙都子と彼女が歪んだ要因ですね。旧作では優しく健気な一面を見せていた沙都子が梨花を雛見沢に縛り付けるために様々な惨劇を引き起こしたわけですが、元を辿れば彼女、そして梨花の「大切な仲間と共に過ごしたい」という願いから来ています。
この願いそのものは実に真っ当で旧作で、梨花をはじめとした部活メンバーが運命に立ち向かうためのモチベーションにもなった重要な動機です。しかし本作では梨花と沙都子が互いに相手に依存し、相手を縛り上げようとする行動の足枷と化しています。ざっくりと言ってしまえば「仲間と紡いできた絆が惨劇の引き金になってしまった」のが本作の物語というわけです。
同時に沙都子が仲間も平気で手にかける外道となり果てている点もこの点で納得がいきます。旧作では叔父の虐待や村八分といった苦難に遭いながらも耐える健気な一面もありましたが、同時に他人に依存しがちな面も持っているのが沙都子という少女だと、個人的に考えています。
同時に「皆殺し編」で梨花に「仲間に助けを求めることの強さ」を知った故、「仲間が側にいなければならない」なってしまったのではないかとも考えています。仲間たちに地獄から救ってもらったからこそ、彼女らと過ごすことこそが自身の幸福であると考えてしまい“梨花”と“雛見沢”に執着した結果があの惨劇というわけです。旧作ではプラスの意味として捉えられていた「仲間との絆」をマイナスの側面で描いている「多面性」がここに見えてきます。
逆に本作もう1つの特徴といえる鉄平の存在はプラスの側面で捉えられているのがまた興味深いです。ネット上でネタにされていた「綺麗な鉄平」を公式が乗っかったように見えますが、こちらは孤独故に肉親を求めてしまう依存性が見られるので、個人的にはそこまで綺麗には見えませんでしたね。(実際劇中では沙都子など限られた相手以外には相変わらず口が悪かったですし)
しかしながら鉄平にも救いがある展開を用意したのはかなり有意義だったと思います。旧作ではただのチンピラとしてひたすら沙都子を追い詰める役割だったので、本作で真っ当に戻れる可能性を提示したことは古くからのファンこそ驚くでしょう。沙都子や周囲を苦しめるだけの存在ではなく、時には考え苦悩する1人の人間として鉄平を描いたことには大きな意味があったと思います。
彼以外にも悪巧みをしていない間宮リナや終末作戦開始前に思いとどまる鷹野三四など、悪印象の多いキャラに新たな一面を与えて救いをもたらしている点が目に留まります。これらも鉄平の件と同様に、旧作ではマイナス要素の強い「悪人」たちに時として善意といプラス要素も見せる「多面性」を見せてきたと言えますね。
- 竜騎士07の願い?
といったように本作は、良いことが悪いことに転じることもあればその逆もありえるという「多面性」を描いていました。
そしてこれは原作者である竜騎士07氏の考えが色濃く反映されているとも考えられます。思えばひぐらしは当初悪印象が強かったものの、後々になって好印象に変わっていくキャラが多く見られます。同時にどちらか片方が正解でもう片方が間違いではなく、どちらもそのキャラの側面であることを端的に示していました。(個人的に『うみねこ』EP8の「戦人が作り出した右代宮家」を真っ先に連想しますね)
過去作の作風からしても、この特徴は竜騎士氏の「正解だけが全てではない」考えからきているのでしょう。考察を楽しんでほしいという考えの元作られた『ひぐらし』は当時、正解以外が認められない環境で、氏はそれを快くは思っていなかったことがネット上のインタビュー記事で語られています。
↑インタビューの詳しい内容についてはこちらのリンクを参照。
正解不正解といった結果ではなく、互いの意見を交換し合い、それを楽しむ過程こそが重要だというのが竜騎士07という作家の考えで、この辺りは『うみねこ』の作風からも感じ取れます。そしてこれはある種「物事の一面しか見ない」ことを良しとしていないとも取れます。正解という一面が全てではなく、他の意見や考えにも目を向けてほしい・・・・・・そんな傲慢だけどどこかロマンチックなメッセージ性があるのではないかと僕は思います。
これと同じことが本作の登場人物にも当てはめられるのではないかと個人的には考えています。上述でも書きましたが、仲間想いの沙都子も非道な沙都子それぞれが描かれた中でどちらかが偽物ではなく、どちらも「本物の北条沙都子」であること。竜騎士氏は物事の善い面と悪い面、それぞれあっての物事たり得ること描きたかったのではないかと思いました。あまりにも難解で非常にひねくれた部分も多いですが、この辺りは氏の純粋な願いであるとして捉えていきたいところです。
そう考えると本作が違った見方が出来て楽しめそうですが、一方で無視出来ない問題も多々あったことは事実です。(ここから先は批判が多いので見たくない方はブラウザバックを推奨します)
まず何と言っても沙都子の問題が大きいですね。上述で語ったように沙都子の悪い面も描いていきたいという氏の考えが見えてくるのですが、それにしても旧作の沙都子とはかけ離れ過ぎたキャラクターを受け入れるのはかなり難しいです。かつての仲間を平気で痛めつけるシーンなど旧来のファンからしたら見たくない要素が多く、ひたすら辛い展開ばかりが続くのもあって非常にフラストレーションが溜まります。
沙都子以外にも過去の物語の否定と受け取りかねない点もいくつか見られます。本作の展開自体が旧作までの戦いを茶番にしてしまったようにも見えますし、ファンが望まない続編の形をなぞっていたようにも思えます。その辺りのヘイトコントロールを上手く調整出来ていれば良かったのですが、いまいち無修正のまま出されてしまった印象は否めません。
他にも推理や考察に関して首を傾げる要素も多いです。『業』で起きた問いの数々が『卒』ではあまりにも単純な形で答えとして提示されていくので肩透かし感が強かったです。そのほとんどが沙都子単独の犯行で、しかも仲間に注射するだけであとはほぼ放置というずさんなものが多いので視聴中は何度か肩の力が抜けてしまいました。こちらの予想を超えた点もチラホラ見られましたが、全体的にはやはり推理し甲斐の無いオチばかりだったと感じてしまいますね。
というわけでひぐらし業と卒の感想でした。感想といっていいのかわからない内容になってしまいましたが、僕が感じたことや考えたことについては概ね書き上げられたと思います。本作における作者の考えがどこにあるのかを自分なりに考えてみた次第です。
竜騎士07氏はひねくれた作家で、『うみねこ』の件といい読者・視聴者に対して優しくないところがあります。受け手の在り方に憤りを覚えながらその感情をそのまま作品にぶつけてしまっている・・・・・・そんな悪癖が露出してしまったのが本作なのでしょう。
しかしながら氏の考えには少なからず共感を覚えます。物事の一面のみを見てそれが全てであると決めつけてしまうような在り方などに首を傾げることがある身としては、それに疑問を覚える氏の気持ちは何となくですが理解出来ます。それを作品に出す際にもう少しセーブしてほしかった、という気持ちもありますが、氏の想いに関しては肯定してあげたいと思っています。前半の事件の考察自体は非常に楽しかったですし、その思い出を提供してくれたことにも感謝したいです。
改めまして長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。平成のひぐらしとは大きく異なる令和のひぐらしでしたが、何だかんだで「見ていて楽しかった」というのが個人的な感想です。この壮絶な1年間は1つの大切な思い出として取っておきたいと思います。
ではまた、次の機会に。
↓以下、過去の感想が書かれた記事一覧です。