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Vシネクスト 仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 感想

その欲望を満たせ!

切なくも確かな“欲望”がここにある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011~2012年に放送された仮面ライダーシリーズの1作『仮面ライダーオーズ』。平成ライダーの中でも特に人気の高い作品で、中でも最終回は今もなお語られるほどの伝説と化しています。10周年を迎えた今年でも、多くのファンがいるかと思います。(かくいう僕もオーズがかなり好きです)

 そんなオーズが10周年記念ということで正統続編として復活。監督や脚本家、演者といった当時のスタッフが再結集して製作されました。オーズファンの1人としてはこれは見逃せない!と思い、僕も劇場版に足を運んだわけですが、あまりにも衝撃的なラストを前に唖然としてしまいました。上映が終了してからの周囲の神妙な空気、そして自身のざわざわした感覚は今もはっきりと思い出せます。というわけで今回は、そんなオーズの感想を書いていきたいと思います。

 

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 映司を“満たす”物語

 本作を語るうえで欠かせないのがやはり映司の存在。主人公である彼が死亡するというラストはあまりにもショッキングでした。このあまりにも信じがたい展開は多くの人の賛否を呼んだと聞きますし、実際僕もかなりショックが大きかったです。(本編終了後に主題歌が流れた時の困惑は今でも忘れられません)

 ただ物語の展開として非常に納得するを得ない、しっかりとした内容だっただけにこのラストを無下に出来ないのがこの作品の特徴。映司が死んでしまったのも少女とアンク、2人の命を救ったのが理由であり、彼の性格を考えるとその選択を取るのも当然だと思います。テレビシリーズ本編の時点で自分の命を省みない危なっかしい行動ばかり取っていた映司を知っていれば知っているほど、「こうなるのも当然」と考えてしまいます。(後述のゴーダの存在もあって、「映司ならこうする」という気持ちがより一層補強されました)

 そしてもう1人の主人公であるアンクが映司の想いを汲み取ったからこそのラストでもあります。かつて自分がしてもらったように、映司の「本当にやりたいこと」に付き合ってあげるのがまたアンクらしいです。彼らの本編での性格・行動を理解していればいるほどこの結果に納得せざるを得ないのがこの作品のタチの悪いところであり、同時に面白いところと言えます。

 

 またこの最期が映司にとってのある種の「救い」とも取れるのが興味深いですね。彼の「どこまでも届く俺の腕」という欲望は世界規模故に叶えることが不可能に近く、映司も心なしかそのことを理解していたうえで生きている節がありました。当時テレビシリーズをリアルタイムで視聴していた身としては、映司の欲望は永遠に満たされないだろう、と感じていました。言うなれば映司が本当の意味で幸せになれることは本来ありえないというわけです。

 しかし本作ではそんな映司にもしもの救いを与えていました。彼にとってトラウマである「少女に手が届かなかった過去」と同じシチュエーションを用意し、今度こそ救えたという結果を与える・・・・・・10年越しにようやく映司の鬼門を解決したというわけです。同時にもう1つの願いであった「アンクとの再会」も叶い、映司はこの時点で確実に“満足”していました。そうして安らかに息を引き取ったシーンでは、映司は間違いなく幸せだったと個人的には思います。

 叶わない大きすぎる欲望よりも、身近で何よりも大切な欲望に映司を誘導し、満足させる・・・・・・本作はこうして映司の欲望を“満たす”ことに注力していました。最終回でアンクが満足して逝ったように、今度は映司が満足して逝ったわけです。この最期がアンクたちに取って悲しい結末だったとしても、映司本人にとっては幸せな結果だったと僕は思います。

 あまりにも衝撃的、受け入れがたい事実ですが、時間が経てば経つほどこの終わり方に納得しつつある自分がいます。むしろ映司のことを想うと彼にこの最期を与えたのは良かったのではないかとも思えてきます。恐らく主人公のこの先について真摯に考えたからこそのラストを、個人的には肯定してあげたいですね。

 

 

  • “欲望”を探す者

 映司の最期にばかり気を取られてしまいましたが、本作の特徴・魅力はそれだけではありません。テレビシリーズで“欲望”をテーマにしてきただけあって、本作でも各キャラの「こうしたい」という欲望に溢れていました。その中でも本作の新キャラクターである「ゴーダ」は一際印象的でした。終盤まで映司の体を乗っ取っていたというだけあって、彼の存在感は凄まじかったです。

 ゴーダについて一言で表すとしたら「映司になろうとした者」でしょうか。映司の欲望から生まれた人造グリードであるからか、映司の欲望を叶えることを目的に行動していたのが面白かったですね。途中で本性を表すのではないかと疑っていましたが、(古代王の力に魅せられたものの)本当に映司の欲望に執着していたとわかったときには驚きました。

 また映司のように振る舞う様子も特徴的。アンクとのコンビをやってみたいがために色々とアンクに指示していた辺り(「歌は気にするな!」を言ってもらおうとした時はちょっと引いてしまいましたね)、彼は映司そのものになりたかったのがわかります。とはいえやっていることは映司の真似事なので、本物の映司と比べても大分違うのが目に見えて伝わってきましたね。

 映司になろうと行動していたものの、その実彼の上っ面をなぞっているだけだったという哀れなグリードこそがゴーダの本質でしたが、個人的には彼のそんな歪んだ部分が結構気に入りました。他人の欲望を自分の欲望にしていたものの上手くいかない・・・・・・そもそも欲望とはそのようなものではないという本作のメッセージを示すキャラクターとしてここまで秀逸な存在は中々いません。一部同情出来るものの、好きなように暴れて悪役としてキチンと散ったのもまた素敵です。こういった「哀れな悪役」が好きな身としては、ゴーダはかなりのお気に入りになりましたね。

 

 

 そんな映司とアンク、そしてゴーダの存在が目に焼き付いた本作。他にはもちろんアクション面についても語りたいところがあります。中身がゴーダだったもののオーズのアクションやコンボの活躍が光っていましたし(プトティラが相変わらず強かったのが良き)、満を持して登場した「タジャドルコンボエタニティ」の戦闘シーンにはテンションが爆上がりしました。テレビシリーズ最終回のアンクを映司に差し替えたシチュエーションの協力バトルで「仮面ライダーゴーダ」を倒すシーンには内心燃えまくりでしたね。古代王(800年前の王)オーズの圧倒的な強さも短いながら強く印象に残りましたし、オーズたちの活躍に関しては概ね大満足でした。

 

 

 しかし不満がないわけではありません。やはりと言うべきか、予想していた問題がはっきりと出ていたのも本作の特徴でした。ここから先は批判が多いので見たくない方はブラウザバックを推奨します

 

 何と言っても約60分という尺の短さゆえか、全体的に巻きで進んでしまった印象が強かったです。古代王の復活の理由などが特に明らかにならず、ゴーダの裏切りもシームレスで進んでいくので少々動揺してしまいました。基本的に映司とアンクに焦点を当てているせいか、その他の問題はあまり取り上げられなかったのだと思われます。

 同時に他のキャラの扱いにも首を傾げてしまいます。せっかく復活した敵グリードたちもウヴァを除いてまともに戦闘することないまま古代王の吸収された時は驚きましたし、せっかく登場した「バースX」もゴーダにやられて終わってしまったのが残念です。(バースXに関してはTTFCで配信される前日譚で活躍しそうですが)どうせならグリードの何体かをバースXの相手としてぶつけて、撃破される見せ場を用意してほしかったです。

 

 

 というわけでVシネオーズの感想でした。どうなることかと思いましたが、こうして書き上げることが出来て今ホッとしています。思えば公開してからのネットのザワつきからどんな内容なのかと戦々恐々で見たものの、予想よりもとんでもない話ではなかったのもあってこうして感想をしっかりと持てたのだと思います。何度も言うようですが、僕個人としてはラスト、何よりこの作品の在り方をしっかりと受け止めていきたいと思います。

 あとはやはり今後他のライダーでもこういった作品を作ってくれるのか気になるところ。直近の『フォーゼ』は難しそうですが、『ウィザード』辺りはやってくれそうですね。もしそうなった時は楽しみだなぁと思いつつ、期待程度に留めておこうと思います。

 

 

 ではまた、次の機会に。