新・メタレドの楽しんだもん勝ち!

様々な作品について語ったり語らなかったりするサイト

2022年映画簡易感想 その3

 

 

 お久しぶりの映画簡易感想。今回は特撮&アニメ&アメコミとこれまたジャンルがバラバラな感想になってしまいました。今回の3作品を全て見ている人が果たしてどれだけいるか、ちょっと気になるところです。

 とはいえどの作品も一定数のオタクがいるでしょうし、そういった人たちが興味を持って感想を読んでくれたら嬉しいですね。

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 というわけで以下、今回の映画感想です。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


Vシネクスト 機界戦隊ゼンカイジャーVSキラメイジャーVSセンパイジャー

 毎年恒例のスーパー戦隊VSシリーズの最新作。本作は今年2月に大団円を迎えた『機界戦隊ゼンカイジャー』と、安定した優等生のイメージが強い『魔進戦隊キラメイジャー』の2作品のVSということで結構楽しみにしていました。どちらもコミカル要素が強い作品ですね。一方で片や素直で癖の強いゼンカイジャー、片や大人で空気が読めるキラメイジャーとメンバーのキャラクター性が真逆という点もあり、両者が出会った場合に如何なる化学反応が起こるのか気になっていました。

 そうした両戦隊の絡みが最大限発揮されていたのが焼肉食べ放題のパート。敵の「カルビワルド」によって閉じ込められた焼肉空間から脱出するため、焼肉を喰いまくるという字面だけだと本当に意味不明な展開が繰り広げられます。(しかしどちらの戦隊もこういったトンチキな絵面を本編で散々やっているので、実際に見てみるとあまり違和感を覚えなかったですね

 面白いのがこの状況に置かれた時の両戦隊の反応で、キラメイジャーたちは他に脱出する手段がないか探そうとするのに対し、ゼンカイジャーのメンバーはすかさず焼肉に手を出す構図に笑ってしまいました。最終的にはキラメイジャーもみんな仲良く焼肉を食べるのですが、この対応の違いは興味深かったです。無理せず最善を模索するキラメイジャーと、目の前の事柄をポジティブに受け止め実行するゼンカイジャー……それぞれのスタンスがわかりやすく出ていたと思います。

 

 また本作は敵キャラも特徴的で、ボッコワウスの隠し子を名乗る「ポットデウス」が出てくるのですが、彼がボッコワウスとは全く関係のない赤の他人という事実には驚かされました。公開前に姿を公開された時からボッコワウスには似ていないとは思っていましたが、かすりもしない人物を祀り上げていたという展開をストレートに用意してくるのは結構衝撃的でしたね。何より彼を新皇帝に仕立て上げた「Dr.イオカル」の悪辣さが際立っていたと思います。

 さてこのポットデウスの存在が結構面白いと感じました。思えばキラメイジャーもゼンカイジャーもテレビシリーズ本編で「“偽りの立場”に踊らされた敵キャラ」が終盤大きな展開をもたらしており、(前者はヨドン皇帝の別人格であることが判明したヨドンナ、後者は神様に憑依されていたゲゲがそれにあたります)本作でもそんな哀れな悪役が目立っていました。しかし本編では不遇な最期を遂げた彼らとは異なり、ポットデウスはステイシーによって更生の道を進み始める結末が用意されていたのが素敵でしたね。(同じように改心したステイシーがポットデウスの手を取ってくれたのがまた良いですね)本編での哀れな悪役たちがあったからこそ、彼の救済が光っていたと言えます。

 

 他にも充溜のヒラメキングによって完成した「キラメキザンカイザー&キラメキツーカイザー」にゼンカイジャーだけでなくキラメイジャーもやってしまった焼肉ベースの名乗りシーン、もえあず”こともえのあずきさんのゲスト出演など見どころも多かったのですが、極めつけは何といっても「センパイジャー」。マーベラス/ゴーカイレッドと魁利/ルパンレッドを筆頭に、歴代レッドを集結させる構図には不覚にもテンションが上がりました。本人出演は上述の2人のみなのですが、やはりこういった集合は単純に燃えますね。

 これまでレジェンド戦隊と呼ばれていた過去の先輩戦隊を、センパイジャーという謎のネーミングで呼称する流れも特徴的。こちらはゼンカイジャーのノリを考えると極めて普通に思えるのが面白いところです。そんなゼンカイジャーのギャグ全開のノリを活かしつつ、熱い展開も用意する本作の象徴的な存在として、センパイジャーも大きく印象を残してくれたと思います。

 

 

 

クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝

 こちらも毎年恒例『クレヨンしんちゃん』の映画版。本作はクレしん映画30作品目という記念すべき作品でもあります。そしてここ最近の映画が公開延期を重ねていた中、久々に例年通りの時期に公開されたのが個人的には嬉しかったですね。

 そんな本作は、ストレートに「家族の“当たり前”」を問う内容に仕上がっていたのが特徴的。いつも通りに暮らしていた野原家に屁祖隠(へそがくれ)家という忍者の一家が登場し、「子どもの取り違え」という衝撃情報を持ってくることで日常が大きく変わっていく様子が展開されていました。結局のところその取り違えの話は真っ赤な嘘であることが中盤判明するのですが、その間に多くの動揺が確認されています。

 しんのすけが自分の子どもではないかもしれない話で疑心暗鬼に陥るひろしとみさえはもちろんのこと、個人的に印象的だったのがしんのすけの反応ですね。屁祖隠家の母「ちよめ」によって彼女の子どもに仕立て上げられた時は深く考えていなかったしんのすけですが、だんだんと家族がいない事実を前に変化していくしんのすけの態度に胸打たれました。忍者幼稚園から共に行動した「風子(ふうこ)」が母親の迎えに喜んでいる後ろで、無言のまま屁祖隠家に帰って床につく様子はどこか寂しげに見えます。“当たり前”だと思っていたものが自分の周りからなくなったことでぽっかりと空いた喪失感……そんな言いようがない悲しみにしんのすけが打ちひしがれていたことは容易に想像出来ます。(だからこそ中盤に感動の再会を果たすシーンが映えるのですが)

 このように家族が存在しないものになっていく感覚を野原家が味わっていた一方で、屁祖隠家にも“当たり前”が揺るがされる事態が起きていたのも忘れてはいけません。中でも1人息子の「珍蔵(ちんぞう)」は登場当初から何かと礼儀正しい「良く出来た子」として描かれていましたが、徐々にわがままも言う普通の子どもに変化していく過程が目に焼き付きました。忍者の家に生まれ育ち使命のために生きることが当然として育てられてきた珍蔵が、それを良しとしなかったちよめたち両親と野原家との交流もあって子どもらしさを手に入れていったことにはどこか見ているこちらも誇らしげに感じました。これまで“当たり前”だと思っていたものが覆されそうになった中、決して揺るがない“当たり前”を、両家族が見つけていくことこそ本作のテーマの1つだったと思います。

 

 あとは大人から子どもへと活躍がバトンタッチされていく展開も特徴的でした。終盤までは親たちが子どものため七転八倒していく様子が描かれていた中、本作のキーでもある「地球のへそ」の栓を閉める役割を子どもたちが担っていく構成は中々に面白かったです。しんのすけと珍蔵だけでなく、カスカベ防衛隊メンバーと風子といった子どもたち全般に見せ場があったのも嬉しかったです。

 劇中で登場した「もののけの術」も、元々は子どもの遊びだったというオチにも唸らされます。デメリットばかりが目立つ危険な術も、元を辿れば子どもの遊びに大人が首を突っ込んでいただけだったという話が個人的にはかなり好みです。忍者の里の長老などの汚い企み・それを止めようとする親たちの構図が主軸になっていた中、最後の最後で子どもの純真さで決着をつけていく内容にはかなりスカッとしましたね。(終盤まで謎の存在として登場していた「イケメン」(しかもCV山田孝之さんという)の正体がひまわりのもののけだったみたいな話からも、「小難しい話よりも単純かつわかりやすいもの」を重視した子どものスタンスを表現していると思いました)

 他にも刺客の忍者やハラノ・シタゲー博士(しんのすけの質問にもキチンと答えてくれるところが素敵)など魅力的なゲストキャラが多く、毎年恒例の映画らしく多くのキャラクターが印象に残りました。ちよめの2人目の子どもが生まれそうになる件など話の途中で別の問題が差し込まれるゴチャゴチャ感はあったものの、概ね例年通りに楽しめましたね。何よりしんのすけが本当の息子ではない疑惑を出しながらも、綺麗にまとめてみせた本作に拍手を贈りたいです。

 

 

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス

 MCU最新作は『ドクター・ストレンジ』の続編。魔術師ストレンジが多次元宇宙(マルチバース)が絡んだ巨大な事件に立ち向かう話であることは事前に告知されていたものの、予告では何が起きているのか読み取れないなどわからないことだらけでした。そして公開されてからどんな話なのかを確かめに行った結果、衝撃的な内容に開いた口が塞がらなかったです。※ここから先の感想ですが、筆者は『ワンダビジョン』を視聴していないので感想もそれを考慮していない書き方になってしまっています。ご了承ください

 さて本作で最初に驚かされたのがワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチのヴィランですね。予告ではストレンジの頼もしい協力者になってくれるかと思われていた彼女が、まさかの敵として立ちふさがる内容には唖然となりました。映画開始から数十分で彼女が黒幕だと明かされたおかげで、その先の展開が全く予測出来なくなりました。(実際その後のワンダはまるでホラー映画の悪霊のような恐怖描写で大暴れしていたので終始ビビりまくりましたね)*1

 そんなワンダの暴走ですが、元々は「別の世界にいる自分の息子たちのため」という悲しい目的があったのでどこか同情の念を捨てきれませんでした。ピエトロやヴィジョンなど、大事な人を次々と失ってきたからこそかけがえのない「家族」を追い求めてしまうのは至極当然と言えます。目的のために劇中の多くの人物を惨殺したものの、本質的には家族を求めていた彼女を責める気にはあまりなれません。

 だからこそ最終的には求めていた子どもたちに怯えられることによって、自分の過ちに気付くラストには深く納得しましたね。子どもたちを想う「良き母親」になろうとした結果、多くの人を苦しめ子どもにも拒絶される「魔女」になってしまったことを悔いることになる報いはよく出来ていると思います。『エイジ・オブ・ウルトロン』以降不安定ながらも必死に戦っていたワンダが暴走してしまったことは悲しく思いましたが、最後の最後にヒーローとしての矜持を取り戻してくれたのが何よりです。同時にラストのワンダの自害シーンは、強すぎる彼女をどうにか処理するためという大人事情の結果だと感じましたね。

 

 そして主人公のストレンジに関しては別の自分を見て己を見つめなおす、“反省”の物語が展開されていました。本作のキーパーソンでもある「アメリカ・チャベス」を守る傍ら、別アースの自分の独善性を次々と目の当たりにしていく過程にまず唸らされます。『インフィニティ・ウォー』での行動など、世界のための選択を独断で決めてしまう悪癖を自らに問いただしていくような内容で中々に興味深かったです。それもこれもストレンジが人並みに色々こなしてしまい、「自分がやるしかない」と思い込んでいるのが原因だということが劇中から読み取れるのがまた面白いところ。

 それ故最終的にはアメリカの力を信じる成長を見せていくのが素晴らしかったです。自分だけでなく他人にも頼っていく流れはベタですが、その分ストレンジがそのことに気付けたという感動もひとしおです。同時にダークホールドのようなタブーを駆使しても、仲間が止めてくれる信頼を見せてくれたのもグッド。実際本作ではウォンやクリスティーンといった周辺人物が終始活躍してくれていたので、ストレンジの成長に彼らが一役買ってくれていたのがわかります。「もしかしたら別の道もあったかもしれない」といった迷いを、三つ目のデメリットと共に背負っていくラストのストレンジにはどこか爽やかな読後感を覚えましたね。

 

 そして本作はヒーローたちのサプライズも見どころの1つでした。別アースに登場したヒーローチーム「イルミナティ」のメンバーとして、リード・リチャーズ/ミスター・ファンタスティックやチャールズ・エグゼビア/プロフェッサーXが登場した時の衝撃は計り知れなかったです。彼らがメインを務める『ファンタスティック・フォー』と『Xメン』は20世紀フォックスが映画の権利を持っていることは周知の事実ですが、それらがついにMCUとの合流を果たした証をしっかりと見せてくれたのは喜ばしい話です。本作ではワンダにあっさり倒されてしまったものの、MCU本来のアースから登場する予定の彼らの活躍に一層期待がかかってきましたね。

 

 

 というわけで映画感想でした。毎月面白い映画が公開されそれを楽しめるのは嬉しい事態だと思いつつも、感想をまとめるのは結構大変ですね。しかし自分が何を想ったのかを書き留めておくはとても重要なことだと思うので、これからもマイペースに感想を書いていきたいと思います。

 

 

 ではまた、次の機会に。

*1:本作の監督であるサム・ライミ氏は『死霊のはらわた』などのホラー映画を数多く手掛けてきたので、この手のおぞましい絵作りは大の得意とのこと。