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2022年映画簡易感想 その5

 

 

 約2か月ぶりの映画感想。今回も例によって既に公開終了している作品ばかりの感想になります。特に今回は個人的に最も感想を書くのが難しい作品を取り上げたこともあって、予定よりも大分遅れてしまいました。ここまでやって書き上げた感想が皆様のお眼鏡に合うかはわかりませんが、目を通していただければ幸いです。

(今回は既に感想を書いた『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の特別編集版の感想もあります)

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 というわけで以下、今回の映画感想です。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


ドラゴンボール超(スーパー) スーパーヒーロー

 人気漫画『ドラゴンボール』の映画最新作。『ブロリー』から約4年ぶりの映画であり、同時に全編フルCG*1というシリーズ初の試みがされていた興味深い作品でした。CGといっても二次元のデザインをそのまま落とし込んだかのような映像作りがされているため違和感が少なく、これまでの作品と同じ感覚で観れるように仕上がっていました。この辺りは原作の立体映えしたイラストあってこそでもある一方で、制作側の工夫と挑戦が感じられる素晴らしいポイントだと思います。

 

 映像に限らず、ストーリーに関しても“懐かしさ”の中に“挑戦”的な要素が散見されたのが特徴的。まず悟飯とピッコロの2人が主役だったのが挙げられます。悟飯にスポットが当たった映画は過去にもありましたが、ピッコロが主役というのはかなり珍しく、その情報を初めて耳にした時は本当に驚きました。しかも登場してからずっと出ずっぱりで、本作の戦いをどう解決するか奔走する姿が見られたのも意外性が高かったです。また悟空とベジータブロリーといった味方の最高戦力を別の場所に追いやることで、彼らの活躍の場を用意する徹底ぶりにも感心させられます。

 そのうえで悟飯の潜在能力の高さ、ピッコロとの師弟関係といったあまり取り上げられなかった要素を積極的に拾っていく内容が素敵でしたね。悟空メインの話では中々出来ないことをやっていくことで、彼らの魅力が今まで以上に引き出されていたように感じました。特にピッコロの世話焼きなキャラクターを上述の奔走ぶりでより面白おかしく描いてみせたことには舌を巻くばかりです。

 そんなピッコロの奮闘が、序盤は父親としても戦士としてもダメになりかけていた悟飯を本来の実力へと戻していく流れも見事。「孫悟飯ビースト」へと覚醒してから悟飯の不敵な笑み、そして極めつけの魔貫光殺砲のシーンには感動すら覚えます。この2人の関係性を好きな身としては、感無量の内容でしたね。

 

 そして本作のオリジナルキャラである「ガンマ1号&2号」も本作の大きな挑戦でした。「ドクター・ヘド」作の人造人間である彼らの正義感溢れるキャラクターはとても魅力的で、当初は敵として登場しながらも徐々に明らかになっていく誠実さにはすぐに心奪われました。中でも子どもを傷つけることを良しとしない2号はすぐに好感が持てるほどカッコよかったです。カッコつけるお調子者である一方で、いざという時は自分を犠牲にしてでも戦い抜く姿も鮮烈な印象を残してくれました。悲しくもどこか誇らしく感じられる最期を迎えた彼こそ「スーパーヒーロー」だとピッコロが讃えるタイトル回収シーンには思わず感極まってしまいましたね。

 その他にも懐かしい設定をわかりやすく調理していたのもポイントでした。まず少年時代の悟空が壊滅させたレッドリボン軍を映画のヴィランに据えるという判断だけで驚きです。その他にもピッコロの巨大化能力など「そういうのもあったな」と思わせる設定を拾ってきて観る者を唸らせてくる内容は実に楽しかったです。それでいて「セルマックス」という巨大な敵を相手に集団で立ち向かう戦闘シーンなど、シリーズとしては新鮮な絵面も多く終始見ていて飽きが来なかったです。悟空の全力バトルが全くなくとも面白い映画が出来るという点においても、本作は大きな意義を残してくれたと思います。

 

 

犬王

 湯浅政明氏が監督を務めたミュージカル時代劇アニメーション古川日出男氏の著作『平家物語 犬王の巻』を原作とし、実在したと言われる能楽師犬王」を主役に据えた作品です。調べたところ犬王は南北朝時代に活躍したといいますが、年齢不詳でかつ踊った作品も現存していないという、まるで幻のような存在として歴史に名を残している面白い人物。わずかな資料しか残っていないことを逆手にとって、犬王に個性豊かなキャラクターを付け足していく試みをやってみせたことにまず感嘆させられますね。

 

 そんな本作は、上述にもある通りミュージカル映画として非常に楽しい作品に仕上がっていました。犬王ともう1人の主人公である「友魚(ともな)」が、稀代のポップスターとして成功していく様子を彼らの演目で描いていく表現方法、そしてライブシーンの臨場感で観る者を圧倒していく内容に心揺さぶれられました。何と言っても現代にまで通じる要素をこれでもかと詰め込んだ犬王のライブが特徴的で、ロックやストリートダンス、果てはフィギュアスケートを思わせる舞を披露してみせるシーンには目を奪われました。

 他にもプロジェクションマッピングのような舞台を用意したり、まるでバンドのように盛り上がるなど現代の人々からすれば見慣れたものであるものの、当時の時代を生きる住人達にとっては新鮮そのものであることが伝わってくる映像もグッド。やがてスクリーンを前にして観ている自身も劇中の観客たちの一員となる……そんな一体感が得られました。そういった“ライブ感”に没入すればするほど楽しめる作品だったと思います。

 

 また本作の主軸に「異端者が“自分”を見つけ出すための進撃」と言える戦いが組み込まれていたのが印象的でした。父の強欲によって異形の体を持って生まれてしまった犬王と、三種の神器を巡る仕事で父親を視力を失った友魚。この2人が上述の奇抜な演目を重ねていくことで、世間に名を刻んでいく過程がわかりやすく描かれていました。結局それらは足利義満によって弾圧され、それぞれ屈辱的な最期を遂げるわけですが、死後再会を果たすことで報われたので不思議と悲壮感はあまりなかったですね。

 個人的にはこの死後の再会時、彼らが初めて会った時と同じ姿で踊っていたのが意味深に感じました。彼らの演目は上述の通り奇抜ながら最終的には弾圧され、定本の通りの演目のみを許可されるという結末を迎えました。そんな堅苦しい凡庸さを押し付けてくる生前から抜け出し、肉体を失ってからかつての自分たちのユニークさを取り戻していく過程を見た時はさながら2人は「自分を取り戻せた」のだと思えてきます。

 

 犬王の見た目の変化も興味深いですね。最初は異形ながら演目を重ねるごとに徐々に普通の肉体を獲得していく犬王*2でしたが、彼が友魚と再会した際は以前の異形の姿のままに戻っていました。思えば劇中で犬王は自分の体に対して何らコンプレックスを抱いていないどころか便利に思っていましたし、普通の体になることを良しとも言っていません。彼にとってはかつての姿こそが自分であり、「それでいい」と考えていた節があったのかもしれませんね。

 彼らが歌い踊ってきた理由は「平家の亡霊を成仏させるため」「“我らここに在り”としめすため」と色々ありますが、その過程で自分の望む過程を見失いつつあった描写も見受けられます。奇異の目に晒され世間に臨む形で、彼らの踊りは歪められたのではないでしょうか。だとすれば彼らが死後かつての姿で幸せそうに踊りあかしていたことに納得がいきます。もしかしたら犬王と友魚は周囲に異端と見られながらもそれを関係なしと切り離して、2人だけで自分自身を見つめ直せたのかもしれません。本作はそんな主人公たちの、自分たちだけの「普通」を取り戻してく戦いを描いていたと個人的には考えます。

 

 

ソー:ラブ&サンダー

 MCU作品の1作。アベンジャーズビッグ3の1人である雷神ソーを主役とした映画の4作目ということで、個人的に以前からかなり注目していた作品です。(何気にMCUでは初となる単独ヒーローシリーズ4作目という点も特徴的)前作『マイティ・ソー バトルロイヤル』のブラックでシリアスな背景を描きつつも、全体的にコミカルな作風が気に入っていたので、同じタイカ・ワイティティ氏が監督を務める本作には期待していました。

 

 そして期待通り、本作はコミカルとシリアスの塩梅が絶妙でした。全ての神を殺そうとする復讐者「ゴア・ザ・ゴッド・ブッチャー」との戦いと共に、ソーのどこかズレたやり取りや元カノ・ジェーンの微妙な関係が展開されていくので観ていて終始笑いが絶えなかったです。中でもジェーンとの再会で明らかなやせ我慢を見せるソーがおかしかったですね。どちらかというと快活な元カノに対して、未練たらたらな癖に強がっている姿にはクスっとさせられます。

 また「マイティ・ソー」となったジェーンに合わせて復活したムジョルニアと、かつての恋人と武器への未練を見せるソーに嫉妬するストームブレイカもお気に入り。特にストームブレイカーがソーの後ろにヌッと現れたり、ヘソを曲げてビフレストの道を若干逸らしてしまうシーンは何とも言えないシュールさに溢れていましたね。顔もなければ喋りもしない武器なのに、そこに「意思と感情」があることがしっかりと伝わってくる演出は実に素晴らしいと感じます。

 

 その一方で“喪失”とどう向き合っていくかを描いていたのが本作のポイント。ソーがこれまでの戦いで家族を全員失ったことを冒頭で説明しつつ、彼が誰よりも愛する者を失うことを恐れていることを早い段階で理解させていく内容が興味深いです。同時に自分自身を見失いつつあるソーが、末期がんに苦しむジェーンの姿を見ることで如何なる選択を取るかが重要なキモになっていたと言えます。

 結論を言うとソーは喪失を受け入れたうえで愛を選び取りました。やがて息を引き取る恋人と最後まで時間を共にする選択を取り、ジェーンを看取る終盤は何とも言えない物悲しさを覚えます。しかし喜びと悲しみは表裏一体だと理解し、愛する人と心を通じ合わせていく光景には同時に爽やかさが溢れていました。この辺りはジェーンは死ぬ前に何かを成し遂げたいと戦いを選んだだけに、それを理解しつつ彼女の最期を飾ってみせたソーの選択の潔さが際立っているように感じますね。

 そして敵であるゴアとも通じ合い、彼が蘇らせた娘を引き取ることで話が収束していく展開には驚いたものの納得しました。かつては未熟だった若者がこれまでの苦難を乗り越え、最終的に1人の少女を育てる「父親」になったという事実は中々に感慨深いです。愛を否定せず受けいれてみせたソーが新たな愛を育み、娘と共に人々のために戦い続けるラストにはかつてない爽快感を覚えました。タイトルにある「ラブ&サンダー」が彼ら神親子の呼び名だと明かされてからのタイトルコール……という演出は最高でしたね。*3

 

 その他にも上述のコミカル要素の中に愛の様々な解釈がなされていたも特徴的。親友のコーグは自分の種族の交配方法を語るシーンのような具体的な例もありますが、個人的にはヴァルキリーのようにソーと同じく喪失を抱えている者たちの描写が印象に残りました。この辺りは失ったものを吹っ切って、全く新しい道を進み始めるのもまた1つの道だと肯定してくれているように感じられます。そう考えると父・ヘイムダルから貰った名前とは別の名を名乗りつつも、亡き父の役割を受け継いだ「アクセル」は面白い選択をしたのかもしれません。

 あとは本作に登場した神々もある意味で目に焼き付きました。本作の神は小籠包の神*4のような個性豊かな面々が揃っている一方で、「ゼウス」をはじめとして傲慢な面が強く映し出されていました。下々の被害など気にも留めないどころかあざ笑う堕落ぶりには、思わずゴッドブッチャーに同情を寄せてしまったほどです。ただポストクレジットでのゼウスの「神の威厳を忘れた人々」への憤りも理解出来ます。この辺りの複雑な問題を抱えつつ、息子の「ヘラクレス」をソーにけしかけようとするゼウスの今後がどうなっていくのか、要注目ですね。

 

 

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム THE MORE FUN STUFF VERSION

 今年の1月に日本で公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の特別編集版。「もっと楽しい版」とも銘打たれている本作は未公開シーンを追加されているとのことで、本編を劇場公開初日で観に行った身としても是非チェックしたい!と言う気概で映画館に向かった次第です。

 

metared19.hatenablog.com

↑映画本編の感想に関してはこちらの記事を参照。

 

 そんな意気込みで観た本作ですが、もっと楽しい版というよりは「もっとしんどい版」と言ってもいいのではないかという内容でした。学校で壁に張り付くことを強制されるなど、主人公のピーターにとって辛い出来事を淡々と綴っていくような追加シーンばかりが目につきました。インタビューのシーンなどはコミカルではあったものの、全体的には胸を締め付けられるような要素が多かったように思えます。(おバカなフラッシュがかえって癒しになっていたような気がします)

 極めつけはラストのポストクレジット。高校のニュースのパーソナリティを務めるベティが卒業後の思い出を語るシーンで、ピーターが影も形もなくなっていたことには愕然としました。ファー・フロム・ホーム』のクラブ旅行を映したビデオでもその姿を確認出来ず、「あの世界においてピーター・パーカーの存在を証明出来るものは全て消滅した」という事実を突きつけられた気分です。卒業の晴れやかさを祝福するニュースとは裏腹に、観ている間はとても辛かったですね。

 ただそんなしんどいシーンばかりではなかったのも事実自由の女神で待機している3人のピーターの会話が追加されているのは嬉しかったですし、そこで「スパイダーマンとしての苦労話」に花を咲かせる先輩ピーター2人の姿にはニヤリとさせられました。何より本作の3人のスパイダーマンの戦闘シーンを劇場でまた観ることが出来たのは最大の収穫でした。やはりこういったアクション満載の作品は大スクリーンで観てこそ、だと実感します。色々と感じたものの、最終的には「また観れて良かった」と思える映画体験でしたね。

 

 

 というわけで映画感想でした。上でも触れましたが、今回は感想を書くのが難しい作品があって非常に大変でした。中でも『犬王』は個人的に大苦戦させられましたね。映画として楽しめた一方、湧き上がった感情や解釈を如何にして言語化するかに頭を悩ませることになりました。おかげで犬王の視聴から今日までかなりの時間を要してしまいましたが、何とか自分なりにまとめることが出来てホッとしまいます。

 映画などの作品は楽しい一方で、それを見ての感想をどう書き上げるかにかなり苦労してしまうことがあります。ただそれをどうにかして形にした時の達成感は何物にも代えがたいものがあるので、これからも続けていきたいですね。

 

 

 ではまた、次の機会に。

*1:ただし冒頭をはじめとした回想シーンのみ手描きの新規作画である

*2:これは劇中では前半「平家による呪いが彼らの物語を紡ぐことで解消された」のではないかと解釈されていた。(ただし事実はまた異なるのだが)

*3:冒頭からラストまでのナレーションは全て劇中キャラのコーグが語っている。彼を演じているのが本作の監督であるタイカ・ワイティティ氏であることを考慮すると、この語りは「監督による作品のテーマ解説」だと解釈出来るかもしれない

*4:モデルはピクサー・アニメーションで制作された短編アニメ『Bao』(初出は2018年『インクレディブル・ファミリー』との同時上映)に登場する小籠包である。