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ポケットモンスター 第9話「あの日の誓い!ジョウト地方のホウオウ伝説!!」感想

虹色のような夢

つぼみがいつか花ひらくように夢はかなうもの

ポケットモンスター モンスターコレクション EX EHP_17 ホウオウ

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  • 発売日: 2018/03/31
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回のアニポケ、ハッキリ言うと感動しました。他のポケモンと一線を画する特別な存在である「ホウオウ」を題材にここまで素晴らしいストーリーを見れることが出来、その時抱いた思いが簡易感想で書ききれないほどに膨大になったため今回こうして個別に感想記事を上げることになりました。突然決めたことなので他の感想よりも若干書き殴ったような内容になっているかと思いますが、読んでもらえれば幸いです。

 

 

  • 「夢」を追う者たち

 まず今回のエピソードの何に感動したかというと、今回のキーキャラクターである老人「ジエイ」が再び夢を追いかけるようになるまでを描いたことですね。かつてホウオウを探すという夢を持っていたもののある時を境に「ホウオウはいない」と言って夢を諦めてしまった彼を元気づけるためにサトシとゴウ、そして彼の孫である「クリオ」がホウオウを探そうとする、というのが大まかなあらすじですが、夢のためにひたむきに前に進む少年たちを見たジエイが夢を追いかける情熱を取り戻すまでを見事に描き切った点が素晴らしかったです。

 特に自分の気持ちを誤魔化していたことを認め、今日ホウオウを見つけることは出来なくても明日からまた探すことを決意する場面はホウオウを見つけるという「結果」ではなくホウオウを探す「過程」、つまりは夢を追い続けることの重要性を説いているように思えます。夢を持つということは先の見えない長く険しい道のりを進むということで、その道を進むためには先があるかどうかを気にすることよりも、道を進み続ける意思を持ち続けられるかが重要になります。夢を叶えることが出来ないかもしれない、という不安を持ちながらも道のりを一歩一歩着実に進むことこそが夢を叶える唯一の方法であり、このエピソードのテーマ。今回のラストに「夢を叶えることに近道なんてない」というナレーションが入るのもそういった思いが込められているのでしょう。

 

劇場版ポケットモンスター キミにきめた! [DVD]

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  • 出版社/メーカー: SMD itaku (DVD)
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: DVD
 

  またジエイと似たようなポジションに2017年公開の映画『キミにきめた!』に登場する「クロス」がいます。彼もまた映画のサトシやジエイと同じように過去にホウオウを目撃したものの、2人とは違いホウオウが落としていくと言われる「にじいろのはね(虹色の羽)」を貰うことが出来ず、力のみに固執するようになるという経緯を持っているキャラクターで、映画でサトシからはねを奪ってホウオウを呼び出そうとしてポケモンたちの暴走という大変な事態を引き起こしてしまいます。(詳しい内容は映画を見ていただければ・・・・・・)前述の通り「夢を叶えることに近道なんてない」という言葉を信じるならば、クロスは夢を叶えるための道のりから大きく踏み外してしまったと考えられます。劇中でヒトカゲを置き去りにするなどポケモンに対してあまりにも残酷な行為をするクロスの性根をホウオウが見抜いていたのかは定かではありませんが、彼の力のみを求める歪んだ生き方は実際に間違った結果を生み出し、最終的にポケモンとの絆を育むサトシとピカチュウを見て考え方を改めることになりました。

 諦めた夢を再び追う情熱を思い出したジエイ、自らの過ちに気づいて改心するクロスと経緯は異なるものの、どちらもホウオウという「夢」を追うものという共通点があります。そしてそれぞれが正しい道のりを歩むようになった瞬間、彼らの前にホウオウが現れた場面を見ると、ホウオウというポケモンはある種「夢の象徴」とも考えられます。夢を抱いている純粋な人間の前にのみ姿を見せ、逆に夢への道のりから足を踏み外した者の前には決して現れない、「ポケモンマスターになる」夢を持つサトシとピカチュウが見ることが出来たのもホウオウが「夢の象徴」としての側面を持っているからなのかもしれません。

 そして今回のアニメでサトシたちが目を離している隙にジエイの前にのみホウオウが一瞬だけ姿を見せたのも憎い演出です。既に夢にひたむきに走り出しているサトシやゴウ、祖父に元気になって欲しいという願いを叶えたクリオたちが一緒にいる状況ではなく、ジエイのみになった瞬間に出てくるホウオウの姿には「夢への道のりを再び進むことを決意した彼へのご褒美」のように感じ取ることが出来ます。ポケモンというある種「子どもたちの夢の世界」で「あの頃の夢を思い出した大人」の前にだけ「夢」が形になって出てくる・・・・・・かつてポケモンの世界に夢中になってのめり込んでいた少年時代を持つ身としてこの演出は本当に感動しました・・・・・・!!

 

 

  • 「第1話」に対するリスペクト

 また今回のエピソードで素晴らしいと感じた点として「サトシとピカチュウがかつてホウオウに出会ったことがある」過去をきちんと物語に組み込んだというのがあげられます。初代『ポケットモンスター』の第1話にてボロボロになったサトシとピカチュウの前にホウオウが姿を見せる場面は今なお語られる名シーンですが、ホウオウなんていないというジエイの反論としてサトシがその過去を持ち出す場面は往年のファンとしては過去作をキチンと意識してくれていることがわかり嬉しくなるところです。実は本シリーズは今回だけでなく、第1話の「ピカチュウ誕生!」にも初代第1話へのリスペクトが感じられる要素が存在します。

ピカチュウ誕生!

ピカチュウ誕生!

  • メディア: Prime Video
 

 これはピカチュウがサトシと出会う前、ピチューだった時を描いたストーリーですが、この過去が明かされるうえでリスペクトを感じたのが「実はサトシとピカチュウは過去に出会っていた」という展開にしなかった点です。あくまでピチューピカチュウになるまでの過程ともう1人の主人公であるゴウの原点を描くことに力を入れた点は、サトシとピカチュウのオリジンがあくまであの初代第1話であるからだというリスペクト精神が見られます。最初は険悪だったものの、様々な困難を経て仲良くなっていくサトシとピカチュウの物語にかつて出会っていたという過去はいらない、あの両者の物語は1話の出会いから始まったのだ、というあの1話を大事にしようとする考えがあるからこそ、安易な展開にはしらなかったのだと思います。本シリーズは、こういったリスペクトを忘れずに新しいことに挑戦し続けるからこそさらに感動できるのだと、僕は改めて感じましたね。

 

 

 というわけで長くなりましたが、今回のアニポケに対する思いを余すことなく書くことが出来ました。アニポケの感想は次回からは簡易感想に戻りますが、また今回のように僕の琴線に触れるエピソードがあった場合、再び個別で感想記事を上げることになるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします。

 

 

 ではまた、次の機会に。