本日1月16日は「ヒーローの日」です。ちょうどそのタイミングを狙ったのか『魔進戦隊キラメイジャー』のキャストも発表されるなど(ピンクを演じているのが『仮面ライダーゴースト』で、カノンちゃんを演じていた工藤 美桜さんでびっくり。またさらに美人になったねぇ・・・・・・)、ヒーローに関する話題が多く皆さんそれぞれ自分にとってのヒーローについて考えたりしているかと思います。
長年仮面ライダーを始めとしたヒーローたちに触れて今日まで過ごしてきたこのメタレドですが、自分にとっての「ヒーロー」と言われると結構難しい気がします。というのも僕の子どもの頃にやっていたヒーローといえばウルトラマンや仮面ライダーといったシリーズそのものに大きな変革が起きていた時期だったからだと考えています。
かつて『燃えろ!!ロボコン』を楽しんで視聴していた幼少期の自分にとって、ロボコンが終了し、その時間に復活した仮面ライダーとして『仮面ライダークウガ』が始まったという事実は当時かなり受け入れがたいものでした。必殺技などを叫ばず泥臭く戦うヒーロー、やたらリアルで怖い敵怪人の殺害シーン、1話完結ではないストーリーといわゆるこれまでのヒーロー作品における「お約束」から大きく外れた内容に衝撃を受けると同時に、スーパー戦隊の名乗りやロボ戦が大好きな身としては正直退屈に感じました。特に自分の能力に関して手探りのまま戦い1話で怪人を倒さず進んでいく物語には次の1週間までが非常に長く感じられる子どもにとってとにかく苦痛に感じていたようにも思います。「いや早く戦えよ!」と内心思いながら見ていた気がします。
そんなこんなで文句を言いながらも最終回まで律儀に視聴し、続いて始まった『アギト』はクウガとは全く別な一方同じ要素をいくらか引き継いでいましたが、その時点で文句を言っていた要素に対して慣れてしまったのか、クウガよりも楽しんで見ることが出来ていました。しかしこの調子なら次も楽しめそうだな、と思っていた矢先に今度は『龍騎』が始まりました。仮面ライダー同士が殺し合いをするバトルロワイヤル、という今までの仮面ライダーとは根本的に異なる番組と化していて「何だこれは、これはヒーローなのか?」と疑問を抱きながらも友達とライダーバトルごっこをしたりしながら楽しみ、最終回の1話前に主人公が死ぬという衝撃展開に色々考えさせられました。この時点で「仮面ライダーが新作の度に新しいことをしてくる」というのが自分の中で当たり前になったのではないかと思います。
そして龍騎と同時期に『機動戦士ガンダムSEED』と『ウルトラマンコスモス』もスタートしました。殺伐とした世界観を示してくれたSEED、怪獣をむやみに殺さない優しさを持つコスモスとそれぞれ別ベクトルで当時の自分にはなかったイメージを与えてくれました。特にコスモスの影響力は凄まじく、今では一番好きなウルトラマンとして真っ先に名前をあげるほどのお気に入りです。
ここまで書いてきた作品、僕が子どもの頃に触れてきたヒーローというのは良くも悪くも「統一性がない」という特徴がありました。時代が進んで多様性、つまり様々な文化や考えを否定せずに受け入れていく在り方が主流となってきた社会では「○○はこうでなくてはいけない」という固定されたイメージからの脱却がヒーロー番組の間でも行われたように思えます。「ヒーローとはこういうもの」「正義とはこうあるべき」といった既存の考えではなく、作り手それぞれが思うヒーローや正義に対する考え方がこういった様々な作品を生み出したのではないでしょうか。
それらを見てきた身としてはそれぞれの作品が掲げる考えに「なるほどこういう考え方があるのか」と学んだり感心しながら見てきました。そのどれもが正しく見え、どれもがすごいと思えるようなものであるからこそ統一性がないヒーローたちに、僕は不思議と惹かれていました。
まとめると僕にとってのヒーローとは「自分の考えを貫くもの」だと思います。周りのイメージや意見に流されず自分の考えはこうだ!と言い切って堂々と新しいことをしてくるヒーローこそが僕の憧れるものなのかもしれません。
そういった意味では『デュエル・マスターズ』の主人公、切札ジョーも最近のお気に入りのヒーローですね。既存のイメージに囚われない奇抜なクリーチャーを自ら生み出し、周りの大人の意見や過酷な世界観に負けずに自分の好きな人やもののために戦える子ども、というのは見ていて非常に気持ちいいです。
ここまで長々と書きましたが、ヒーローとはやはり自分にとっての憧れの存在に尽きると思います。周りの意見に流され、自分の考えをまとめるのが苦手な僕にとって自分を貫けるヒーローというのはとても輝いて見えます。いつかあのヒーローのようになれたら・・・・・・と思いながら、精進していきたいですね。
ではまた、次の機会に。