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2023年アニメ映画簡易感想 その3

 

 

 いつの間にか2024年になってようやく手を付けた2023年のアニメ映画の感想も、これで最後となりました。去年観たアニメ映画の感想の残りをここで書き切ってしまいたいと思います。今回は往年のファンには嬉しいデジモン、続編の劇場アニメ化も決定している青春ブタ野郎、そして黒柳徹子氏の少女時代を綴ったトットちゃんというお品書きになっています。今回も例によって今更な内容ばかりですが、読んでいただければ幸いです。

 

 

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 というわけで以下、今回の映画感想です。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


デジモンアドベンチャー 02 THE BEGINNING

 2000年に放送されたデジタルモンスターのアニメシリーズ2作目『デジモンアドベンチャー02』の劇場版。2020年に公開された『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』の続編でもあり、そちらの地続きの内容として成長した選ばれし子どもたちのストーリーを描いた作品となっています。(最も太一ら無印の主人公たちはほとんど出てきませんが)予告の時点で選ばれし子どもたちのルーツについてを語っていくことが示唆されており、観に行った際は思った以上にシリーズ全体の核心に触れていく内容で驚かされましたね。

 何といっても本作のゲストキャラにして実質的な主人公である「大和田ルイ(おおわだ・ルイ)」と、そのパートナーの「ウッコモン」のストーリーが衝撃的でした。最初にパートナーになった子どもとデジモンながら、その関係を間違えてしまった過程のホラーチックな絵面には思わず絶句してしまいます。ウッコモンはルイの幸せのために選ばれし子どもたちを次々と作っていったことも明かされ、それが狂気的な善意として映されているシーンもショッキングでしたね。その時の不和から2人の仲が一度拗れてしまう回想は、当時虐待同然の扱いを受けていたルイの境遇も相まって何とも言えないやるせなさを覚えてしまいます。

 そんな状況に大輔たちが真っ向から立ち向かい、ルイとウッコモンの仲を修復させていく後半は一転して爽快感に溢れていましたね。過去作でもそうでしたが、02のメンバーのノリの軽さ・前向きキャラクターが明るい方向に物語を盛り上げてくれていたと思います。何よりルイたちの過去を知ったうえで、「パートナーデジモンを都合の良い道具にしてはいけない」ことを伝えていく内容には大いに救われました。対話を経て対等な関係を築いていくという、単純ながらとても大切なテーマをデジモンでやってのける物語にはシンプルに感動させられるものがあります。

 またそのパートナー関係の一環として、最後にデジヴァイスが消滅した時はこれまた度肝を抜かれました。上述のウッコモンが選ばれし子どもたちを生み出した話といい、シリーズの根幹に関わる設定に思い切ったメスを入れているなぁ、と感じます。とはいえここまで観ていると納得の展開だとわかるものでもあったので、抵抗感はそれほどでもなかったです。デジモンが戦いの手段となりかねない世界観に対し、「子どもたちと対等なパートナーであるべき」という考えを本作はどこまでも追及した結果と言えるでしょう。

 

 続いてアクション・バトル面ですが、まず特筆すべきはやはり進化シーン。テレビシリーズ当時の進化バンクをブラッシュアップした内容は前作と変わらず、本作はさらに特盛で描いてくれてました。公開前の映像などで事前に明かされていたパイルドラモンだけでなく、シルフィーモンとシャッコウモンのジョグレス進化、各メンバーの成熟期進化&エンジェウーモンの超進化、果てはインペリアルドラモンの究極進化&ファイターモードへのモードチェンジと、予想以上の豪華っぷりで仰天しっぱなしでしたね。これらの懐かしの進化バンクを現代の作画とCGでさらに洗練したものに仕上げてくれたことには感涙せずにはいられません。当時アニメを見た身としてはこれだけで興奮させられます。

 戦闘に関してはビッグウッコモンを止めるという状況もありあまりスッキリするものではなかったものの、それでも絵面としてはかなり派手に描かれていました。ビル街を滑空するデジモンたちが、無数の触手を次々と薙ぎ払う様子は何だかんだでカッコよかったです。中でも往年のファンにとってはインペリアルドラモンの活躍が大分多めだったのが嬉しいところ。ウッコモンと話し合うという決着をルイに任せ、巨大な相手を止め切る大輔のスタンスと合わせて見事な大立ち回りを演じてくれたと感じます。

 不満点を挙げるならば02前半のメイン要素であるアーマー進化が出てこなかったこと&ダゴモンなどの伏線が未回収であること*1ですが、それを除けば概ね満足のいくバトルとストーリーを味わえましたね。太一たちの物語が将来の不安などで陰鬱になりやすかったのに対して、大輔の底抜けのポジティブさが物語を引っ張ってくれていたと思います。総じてファンサービスに溢れつつ、子どもたちとパートナーデジモンのあるべき姿を追求していく内容に惹かれる作品でした。

 

 

青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない

 『青春ブタ野郎』シリーズの劇場作品の最新作。前作『お出かけシスター』の次のエピソードにして「高校生編」の完結作でもある本作は、まさかの主人公の咲太にスポットが当たることになりました。これは個人的には結構予想外だった要素で、謎の小さい麻衣さんこと「ランドセルガール」の存在もあって麻衣さんメインを予想していました。しかしいざ映画館で観た結果、高校生編のラストとしては実に納得のいく内容に仕上がっていたと考えを改めましたね。

 注目すべきはやはり咲太が家族と向き合うまでの過程。花楓が受けたいじめをきっかけに崩壊してしまった梓川家の修復に、咲太自身が受け入れていくストーリーは中々に突き刺さりました。周囲の少女たちの問題を解決していった咲太が、実は誰よりも自分の思春期と向き合えていなかったというのも驚きと同時に納得させられるものがあります。花楓が母親と再会して元の家族に戻っていく様子も相まって、達観した風を気取っていた咲太の異常性がより克明に映っていたのも彼の問題提起としてわかりやすかったですね。

 またいじめの問題が解決して、母親が壊れなかった世界線に跳ばされる“if”のストーリーも興味深いです。自立していく中で「こうでありかった」と感じる穏やかな世界は、家族の件以外は全て据え置きなのもあって咲太にはかなり都合の良いものになっていたでしょう。それを敢えて手放して、放置していた母親としっかり対面していくラストはかなり涙腺にきました。「その日僕たちは本当の家族になれた」というモノローグと相まって、子どもから大人になっていく思春期の物語としては結構秀逸な「家族の物語」だったと言えます。

 あとは麻衣さんの活躍も外せません。前作では梓川兄妹のサポート役に徹していた分、本作で咲太の心を守る良き恋人としての存在感をこれでもかと放っていました。何といっても素敵なのは『バニーガール先輩』の時と立場が逆になった構図ですね。思春期症候群で咲太が誰からも認識されなくなってしまった中、駆けつけた麻衣さんだけが彼を認識して受け止めるシーンには胸が熱くなりました。(当時は走り出してビンタだったのが、今回は普通に抱きしめてくれる絵面になっているのがまたエモいです)

 その後も母と会ってくる咲太を見送るまでも見事の一言。主人公の心のケアをしつつ自ら立ち上がるまで見守る、本当に絶妙な位置で彼を支えてくれていたと思います。これには咲太が度々口にしている麻衣さんを評した「天使だ」発言にも頷くほかありません。「かつて主人公に助けられたヒロインが後々主人公を助ける」というシチュエーションが大好物並みとしては、本作の麻衣さんには大いに救われましたよえぇ。

 このように基本的に感動させられた作品でしたが、タイトルにあるランドセルガールについては何もわからないままだったのはちょっとした不満点として残っています。恐らくは次回作までの伏線なのでしょうが、咲太を元の世界に戻す過程含め「彼女が何だったのか?」という疑問が湧いたままなのでヤキモキさせられますね。(麻衣さん本人ではなく子役時代の麻衣さんが演じている“何者か”の可能性についても気になるところ)個人的には本作の内に説明してほしかったと思わずにはいられないものの、続く「大学生編」での詳細の判明を楽しみにしていたいと思います。

 

 

窓ぎわのトットちゃん

 言わずと知れた女優・黒柳徹子氏の著作である小説を原作とした劇場アニメーショントットちゃんという愛称で呼ばれていた黒柳氏自らの体験を基にしたノンフィクション小説のアニメ化ということで以前から気になっていた本作ですが、その情景の美しさと戦争の恐ろしさ・時代の変化のやるせなさに大いに魅了されました。制作が『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』を手掛けるシンエイ動画ということもあり、子ども向けのアニメーションとしての質の高さにまず納得と感嘆を覚えます。
 ストーリーの主軸としてはやはり主人公である「トットちゃん(黒柳徹子)」の学園生活が大きな見どころとなっています。慌ただしくて周囲をかき乱してしまいがちな少女を受け入れてくれるトモエ学園の教育現場は、今でいう障がい児との向き合いに熱心な姿勢で胸打たれる光景が多かったです。何よりも校長の「小林先生(小林宗作)」の子どもたちに合わせた指導が魅力的。子どもの自立と個性を重視した小林先生の在り方は、個人的にかなり惹かれるものがありました。*2

 そんな学校や暖かな家庭で過ごすトットちゃんの様子も興味深いです。元気いっぱいのわんぱく少女ながら、他者をよく見て気遣う優しい子どもであることが随所で読み取れました。この辺りは小林先生に言われた「キミは本当は良い子なんだよ」という言葉に従い、自分の長所を生かしてみせたとも捉えられますね。(その結果腕相撲での不和などを起こしてしまうこともありましたが)小児マヒを患う「泰明ちゃん(山本泰明)」を対等な学友として引っ張っていく過程には、見ている側も不思議と勇気づけられるものがあります。自分の体にコンプレックスを抱いていた泰明ちゃんが、裸でのプールをきっかけに徐々に心を開いていく場面も相まって、トットちゃんの変わり者としての良さが存分に発揮されていましたね。

 そんなトットちゃんたちが描く想像の世界のパートも魅力的。魚が空を飛ぶなど幻想的かつ独創的なビジュアルを以て、トットちゃんや仲間たちの心情の変化を表していく様子はミュージカルのような楽しさに溢れていました。劇中の絵柄に即したものから原作の挿絵を意識したものまで、絵のタッチの幅の広さにも舌を巻きますね。後述の戦時下でのパートも含め、子どもたちの想像の世界が色鮮やかなものから淡白なものへと変化していく過程も実に面白い演出に仕上がっていました。

 このように全体的に明るく優しさに満ちた内容ではあるものの、徐々に迫っていく戦争の足音によって状況が変わっていく恐怖も注目すべきポイントになっています。当時としてはかなり裕福な家庭である黒柳家ですが、それが少しずつ贅沢出来なくなっていく変化の様子には見ていて胸が詰まりそうでした。序盤では色鮮やかなお弁当が日の丸弁当に、果ては封筒に入った豆数粒になってしまう過程も中々にショッキングです。劇的な変化ではなく、日常が少しずつ戦争に侵食されていく段階を見せているからこその緊張感があったと言えます。

 そして戦争における命の価値の演出には思わず青ざめてしまいましたね。上述の泰明ちゃんの死だけでも相当なショックなのに、告別式で走り出したトットちゃんが目撃した戦争の風景にはさらに心を痛めることになりました。表の通りでは徴兵される若者を万歳している華やかさがあるのに対し、一歩裏通りに入れば戦争ごっこで相手を痛めつける子どもたちや手足を亡くした兵士、家族の遺骨を抱きしめる老婆など仄暗い光景ばかりが目に入ります。1人の子どもの死をきっかけに、人の命が安く使い捨てられるものになる現実を突きつけられた気分です。それらを前にして受け止めたトットちゃんの心情も推し量るに余りあります。

 とまぁ後半は戦争の暗さばかりに目を向けてしまいがちですが、基本は泣いて笑って成長していくトットちゃんの物語ということもあってそこまで悲観的にならずに済みました。疎開先に向かう列車で冒頭に出会ったチンドン屋さんを目撃するシーン然り、戦争を以てしてもトットちゃんの想像力や明るさは損なわれなかったことが伝わってきます。(現実でも戦後、黒柳一家が全員生き延びている事実を知っていることも大きかったですね)戦争の悲惨さを取り上げながらも、基本は当時を生きた黒柳徹子という少女のジュブナイルとして楽しめる素敵な作品だったと思います。本作をアニメとして魅せてくれたスタッフや黒柳氏には感謝の念を送りたいです。

 

 

 2024年も始まってから1か月以上経過しましたが、皆様は映画などは観ていらっしゃるでしょうか。僕は先日『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を映画館で観て感動し、今度は仮面ライダー555(ファイズ)』のVシネも観に行く予定です。当時これらの作品を見ていた身としてはどれも見逃せない作品であり、ちょっとしたノスタルジックな気持ちにさせられるものでもあります。そしてかつての気持ちを思い起こしつつ、これらの作品の感想を今後書き上げていきたいです。

 

 

 ではまた、次の機会に。

 

*1:後者の不満点に関しては、入場者特典のドラマCDである程度回収されたとか

*2:この他にも後にNHK交響楽団を作り上げた「ヨーゼフ・ローゼンシュトック」など、現実で大きな影響を残している人物が多数登場するのも本作の見どころとなっている。