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機動戦士Gundam GQuuuuuuX 第10話「イオマグヌッソ閉鎖」感想

その先に“自由”はあるのか

???「ヒゲマンとは素敵なあだ名を貰ったじゃないか大尉。まぁ私は彼女に変なマスク呼ばわりされたがね……」

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  • 心のままに求める想い

 急展開の連続で7話の時以来に困惑が止まらなかったガンダムジークアクス10話。マチュとニャアンそれぞれの陣営の進展が描かれ、イオマグヌッソ竣工式にてキシリアのクーデターが引き起こされてからの怒涛のストーリーに少々面食らった次第です。ただその一方でこの密度に盛り上がったのも事実。何より前回まで抱いていたあと数話で終わるのか?という懸念が、この問題を解決すればいいからあと2話くらいで終わるな!と納得出来るものに変化していったのは面白かったですね。

 

 それはともかく今回はまず完全にシャリア側に馴染みつつあるマチュの様子が目に留まりました。ジークアクスを使った訓練に度々参加させられているものの、意外と積極的に見えたのが興味深かったです。イズマ・コロニーでの日々と比べても、ここでの生活は刺激的で彼女にとっては悪くないのかもしれませんね。そのうえシャリアを「ヒゲマン」、コモリ少尉を「コモりん」とあだ名で呼んでいたのも意外。改めてこの適応具合を見ていると、マチュがこういった日常とは程遠い状況でこそ輝く人材であることが何となく伺えてきました。

 そんなマチュにとってヒゲマンことシャリアが大きな理解者のように描かれていたのも印象に残りました。前回までは自分の目的のために彼女を利用している様子でしたが、それが巡り巡ってマチュが望むことを認めてくれる存在になっていたのはこれまた驚きでしたね。恐らくシャリアからすればマチュの思うがままにさせた方が事態が好転することを知っているからこそ、彼女の自由意志を尊重しているのかもしれません。利用している点は変わらないものの、やりたいことに背中を押してくれるシャリアはマチュにとってずっと求めていた大人なのでしょう。

 そしてシャリアが木星で体験したエピソードから、彼の“自由”に対するスタンスが明かされたのも見逃せないポイント。使命も出来ることもなくなった“空っぽ”の状態こそが、何にも縛られない本当の自由というのはわかるようでかなり独特に感じます。まさしく「もうどうなってもいいや」の精神で、心のままに行動していくことに彼の自由はあるということでしょうか。しかしそんなシャリアだからこそシャアの本質を理解して慕い、ニュータイプがあるがままで生きられる世界を望んでいる話にも説得力が生まれていました。胡散臭さは据え置きですが、シャリアが意外と純粋なロマンチストであることがわかったのは大きな収穫ですね。

 

 

  • “本質”を理解する者、“現象”しか見ない者

 マチュとは同じようで微妙に異なっていたのがニャアンの陣営。キシリアのことを慕っているものの、そのキシリアによってイオマグヌッソ起動の片棒を担がされる展開に思わず顔を覆ってしまいました。全てはシュウジに会いたい一心でキラキラを発生されているのはわかりますが、そのせいで大勢が犠牲になる状況を受け入れている点にニャアンの危うさが表れていると言えます。敵意や悪意に敏感なため好きな人間への愛情は深いものの、逆に敵と見定めた相手への排除に容赦がないのが恐ろしいです。

 そして今回のそれぞれの描写を以て、マチュとニャアンの対比でニュータイプの在り様が見えてくるのが今回の大きな見どころ。マチュがキラキラをシュウジや他の誰かと通じ合うモノとして認識しているのに対し、ニャアンはそれを容赦なく兵器としても扱ってしまう違いが何とも哀しかったです。さながら前者はわかり合うための奇跡の“本質”を、後者は引き起こされる超常的な“現象”を見ていると言ったところですかね。

 それ以上にマチュがシャロンの薔薇の苦しみを感じるシーンからも、あの場で彼女が誰よりも本物のニュータイプであることが読み取れますね。ニュータイプの感応能力が高いことがわかりやすく描かれていますし、苦しみを強いる理不尽に対し怒りを露にする様子も1話の時に感じたマチュの力強さを彷彿とさせます。それだけに今のニャアンは、わかり合う力を持つニュータイプなりえないこともわかるので余計に切なくなってくるのですが……果たしてこの2人が対立したらどうなってしまうのでしょうか。

 

 

  • 君臨するジオンの星は、連星となって隊を為す

 ジオン公国軍が一年戦争末期に運用したMA(モビルアーマー)“MA-08”「ビグ・ザム」。要塞などの拠点攻略用に開発された、全高約60mにも及ぶ超巨大な機体です。楕円形の胴体に細長い足が取り付けられている奇妙なフォルムがまず目を引きます。そして原典であるファーストでのビグザムとの違いですが、上部のカールがより鋭くなっているのと膝の装甲が排除されているくらいでほぼそのままといったところでしょうか。

 デザイン以外で最大の相違点となるのが本作の世界ではビグザムが量産化されている件。「-Beginning-」時点で一年戦争に複数機投入されているのが確認出来、ほぼ一個戦隊でルナツーを攻略していく光景には驚愕しました。今回の竣工式でもギレンの出席に合わせて4機用意されているほか、新たに製造が予定されている話も確認出来ます。ジオンを勝利に導いた名機として特別扱いされているのでしょうが、ジオンが財政難に苦しんでいる原因の何割かはこのデカブツを大量に作ったせいなのでは……?と思わなくもないです。

 そんな巨体に攻撃・防御共にとてつもない性能を搭載しているのがビグザムの特徴。まず防御面に関してはIフィールドジェネレーターにより、実弾やビーム問わず無効化するIフィールドを全面に展開して堅牢な守りを発揮出来ます。攻撃においてはメガ粒子砲の砲口が各所に設置されており、広範囲の敵を一気に薙ぎ払うことが可能。中央部の超大型メガ粒子砲に至っては、戦艦を一瞬でチリにしてしまうほどの威力を誇ります。この圧倒的な制圧力によって、ビグザムはファーストにおいて戦場を蹂躙してきました

 今回の戦闘ではキシリアのMS隊によってあっという間に攻略されてしまったのが残念なところ。とはいえ近距離から装甲の隙間を狙われると弱いなど、原典と同じ弱点を突かれて敗れてしまったことはまぁ仕方ないですね。むしろ運用における問題点が放置されたままでかつ、向こうが対策を講じてきた状況で勝つ方が難しかったかもしれません。技術発展のスピードが凄まじく早い宇宙世紀においては、5年前の戦争に使われた超兵器すら時代遅れということなのでしょう。

 

 

  • 如何なるものも消し滅ぼす、悍ましき時空兵器

 7話の時点で既に名前が挙がっていたイオマグヌッソ」についての詳細も今回で判明。「全地球環境改善用 光増幅照射装置」という名前を持っていることからもわかる通り、荒廃していく一方である地球の環境を修繕するための装置である模様です。太陽光を増幅するソーラ・レイとして、寒冷化した地球に太陽熱を送り込むのを目的としているのでしょう。劇中では地上からでも確認出来るほどの大きさと説明されていることから、全長もかなりのものであることが予想出来ます。ただこれらの設定からして、どちらかというと太陽光をビームにして発車する兵器なのではないか?と前回までは予想していたのですが……

 しかしてその実態はゼクノヴァの現象を利用した戦略兵器。ニャアンが操縦するジフレドとシャロンの薔薇を繋ぐことでゼクノヴァを強制的に発生させて、指定した座標にいる標的を消失させるというとんでもない代物でした。今回の初使用では月の裏側に存在するジオンの要塞「ア・バオア・クー」を、キラキラによってイオマグヌッソ周辺に引き寄せてからブラックホールのように呑み込んでいく光景が展開されていたのが印象的。実質射程範囲は無限に近く、恐らく座標さえわかっていればどれほど遠くにある物質だろうと、どんなに質量が大きかろうと消し去れるということなのでしょう。大量破壊・大量殺戮を引き起こす巨大兵器はガンダムシリーズでは定番ですが、ここまで物理法則を無視しているぶっ飛んだ性能は中々見ませんね

 何よりゼクノヴァの時空間を超える性質を、このような兵器として使う発想にドン引きせずにはいられません。向こう側が存在することを知りながら、そちらと繋がる手段をさながら不法投棄のように扱うのはあまりにも非人道的。キラキラは本来他人と思考を共有させて、世界を通してわかり合うためのものでしょうに、キシリアはあくまで便利なワープ装置としてしか見ていないのもショックが大きいです。過去作品でもニュータイプの力を良いように利用する大人たちは数多く出てきましたが、本作でもそんな「ニュータイプの奇跡の本質を知ろうとせず、現象にしか目を向けていないオールドタイプ」という人間の業を実感した気分です。

 

 

 余談ですがニャアンを使っているキシリアの行動が、かなりぶっ飛んでいたのが個人的にも度肝を抜かれたポイントでしたね。兄の「ギレン・ザビ」総帥を速攻で毒殺し、あっという間にイオマグヌッソを手中に収めるスピード感には一周回って感心してしまいます。動機も父・デギンを謀殺した兄への憤りという、家族想いが故の感情的なものだったので正直ビビってしまいました。(連邦軍が虎視眈々と狙っているのに迂闊過ぎない?とも思いますが、キシリアは原典からして衝動のままギレンを殺害して指揮系統を混乱させていましたし……

 中々ライブ感に生きているように見えるキシリアですが、その根底にはニャアンに教えた「強さとは生き残ろうとする意志」があるようにも思えます。恐らくキシリアにとっては生きていれば勝ち・生き残るためならどんな手段も厭わないというスタンスなのでしょう。目の上のたんこぶだった兄を排除し、イオマグヌッソによって他の勢力への睨みを利かす恐ろしさにどこかゾッとするものを覚えますねそれにしてもキシリアの狙いが判明したことで、前回の感想で自信満々に書いたゼクノヴァガチャの予想が盛大に外れてちょっと恥ずかしかったり……

 

 

 というわけで次回はマチュVSニャアンの対決がついに勃発。シャロンの薔薇を巡って主人公同士のぶつかり合いが描かれるようですが、ここまで積み重なってきた確執も同時に爆発しそうで今から戦々恐々ですね。2人ともシュウジに会いたい一心で行動しているのに、こうして争ってしまうのは感情のままに生きる人たちの悲しいサガと捉えるべきでしょうか。

 それはともかくサブタイトルの「アルファ殺したち」も気になるところ。まず「アルファ」とは何か?という疑問が湧いてくるので色々考えてしまいますが、個人的に真っ先に思い浮かぶのが赤いガンダムの型式番号・gMS-“α”なんですよね。シュウジと共に消えた赤いガンダムがここにきてカギを握ることになりそうで、物語のクライマックスを実感してきます

 

 

 ではまた、次の機会に。