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2022年映画簡易感想 その2

 

 

 前回の映画簡易感想から約4か月。長いこと放置してしまいましたが、再び簡易感想を書くことになりました。この期間の間に様々な映画を鑑賞してきましたが、どの映画を取り上げるか、どうやって書くかなどでうんうん悩んでいる内にここまで過ぎてしまった印象です。(作品によっては単体で感想を書きあげたのも原因の1つではあります)

 しかし観てきた映画の中でも僕自身の感想がまとまってきたのも溜まってきた中、今こそ書くべきと筆を取った次第です。今回もほぼ全ての作品が既に上映終了しており今更な感想になっていますが、良ければお付き合いくださいませ。

※ここから先は映画の内容に触れているのでネタバレ注意!!

 

 

 

 というわけで以下、今回の映画感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グッバイ、ドン・グリーズ!

 まず最初は日本のオリジナルアニメーション映画。かつて話題になった『宇宙よりも遠い場所』の製作スタッフによって手掛けられた作品ということで以前から注目していました。

 そうして視聴した本作は、実に直球のジュブナイル作品でした。中学生になったばかりの少年のひと夏の冒険が描かれており、ほんの少しだけ成長していく彼らの様子に心奪われました。若者たちの青春というテーマをストレートにぶつけてくるのでとにかく泣けてきます。それでいて陰湿な要素やストレスのたまる展開もほとんどなかったので、最初から最後まで爽やかな気持ちで見れたのも大きかったです。

 

 そんな本作の最大の特徴は何と言っても2つの冒険を扱っている点。予告などで告知されていた田舎での冒険とは別に、もう1つアイスランドでの海外旅が描かれたのはかなり意外でした。それも仲間の死というショッキングな出来事を経て旅に出るというのですから、後半はとにかく目が離せなかったですね。

 主人公の「ロウマ」と幼馴染の「トト」に、新メンバーの「ドロップ」を加えたチーム「ドングリーズ」が自身の無実を晴らすために証拠のドローンを探す前半、そして死んだドロップの遺したメッセージを探して2人がアイスランドに向かう後半と、どちらも何かを“探す”冒険だったのも特徴的。それらを「宝探し」と捉えて色々な問題を起こしながらも楽しんでいく様子はとても綺麗に感じました。先行きの見えない子どもたちがその“先”をみつけようとしていたのだからこその輝きが、そこにあったのだと思います。

 そもそもが自分のことについて不明瞭に捉えがちであったロウマとトトが、ドロップという異物によって変わっていくのが面白かったですね。とにかくフリーダムな彼に引っ張られる形で未知の世界に出かける中、本音をぶつけ合ったり乗り越えたりしてその思い出を何よりの宝物にしていく前半のストーリーはありふれていたものの、それ故に楽しめました。

 そしてそれ以上に、ドロップの真意が明かされる後半に驚かされました。かつてロウマがアイルランドにいった同級生にかけた電話が、アイスランドにいたドロップに届いていたことが判明する瞬間には膝を打ちましたね。前半ロウマとトトに大きな変化を与えてくれたドロップが、何よりも彼らに変化を貰っていたという事実に感激してしまいます。長い時間をかけて3人の想いが出会い、それが宝探しの答えになっていく物語には舌を巻くばかりです。

 

 またロウマの甘酸っぱい青春模様も見逃せません。「チボリ」という気になる女子と写真で知り合ったことをきっかけに、彼女との関係に悩むロウマの姿には大いにヤキモキさせられました。やりたいことも見つけられずにいるロウマが、自分の道をしっかりと見据えているチボリが魅力的に映っていることがわかるのも印象深いです。彼にとってチボリは恋慕以上に、憧れのようなものを抱かせてくれる存在なのでしょう。アイルランドに引っ越してしまった彼女に電話をかけるかどうかで迷い、そうして上述のドロップの元に届くくだりに繋がっていくのがまた素敵ですね)

 そんなロウマが彼女の後を追いかける形で将来を決めていくラストは本当に素晴らしかったです。2つの冒険によって自分の世界を広げていったロウマが、外の世界にいる彼女を憧れで終わらせず追いついてみせようとする気概を見せた時には思わずウルッときてしまいました。チボリは実際のところ本筋には一切関わらずに出番が終わったヒロインでしたが、だからこその魅力に溢れていたと思います。

 とにかく展開が早く見応えがあり、かなり涙腺に来る映画でした。(映画館を後にしてから読んだ来場者小説の小説にも泣かされましたよえぇ)夢や死の困難にぶつかりながらも、自分の道を見つけていくヤング・アダルトの作品として手堅くまとまっていたと言えます。こういったシンプル故に味わい深い作品に出会えて本当に嬉しいです。

 

 

エスト・サイド・ストーリー

 有名なブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品。原作の映画作品としては1961年に公開された『ウエスト・サイド物語』が既に存在していますが、それとは別にスティーブン・スピルバーグ氏が監督を務めて製作されたのが本作です。この手のミュージカル映画を劇場で観るのは今まで経験していなかったのですが(劇場でミュージカルを観たりレンタルでミュージカル映画を見るのは好きですが)、いい機会ということで思い切って観てみた次第です。また本作を観るにあたり、先に上述の1961年版の方をレンタルで視聴しました。近くにレンタルしているTUTAYAやGEOが無かったから探し回る羽目になりましたが・・・・・・そのため今回はそちらとの比較を交えながら書いていきたいと思います。

 さて本作の特徴は何と言っても男女の悲恋が描かれたストーリー。当時のニューヨークが抱えていた移民・人種差別や貧困の問題、それに触発されたギャングチームの若者たちの抗争に巻き込まれた主人公たちの叶わぬ恋の物語が展開されていました。*1ポーランド系の「ジェッツ」とプエルトリコ系の「シャークス」による縄張り争いの醜さ、そしてその犠牲となっていく人々の悲劇的な展開は単純故に胸に突き刺さりましたね。

 

 何より個人的に、本作は「若者たちの視野の狭さ」が特徴的だったと思います。恋に落ちた「トニー」と「マリア」然り、その他の面々然り、本作の登場する若者たちはその多くが「自分の世界と選択を狭めている」問題を抱えているように見えました。ギャングたちの抗争はそれぞれが自分の生きる場所を守るために必死だったことが伝わってくる一方で、それ以外の道を模索しなかった思慮の浅さも目立っていました。

 そもそも彼らは自分の生まれ育った環境から将来を諦めている節があり、目先の欲求に固執している様子が多々見られます。(ジェッツのメンバーがシャークス側の「アニータ」を強姦しようとするシーンはその最たるものでしょう)自分たちの在り方を決めつけ、固執してしまう若者たちの気の短さは、見ていてどこか哀れに思えました。

 主人公であるトニーとマリアの恋模様もある意味で浅はかだったと言えます。パーティーで出会って以降、互いに惹かれあっていく様子は甘酸っぱかったのですが、最初は止めようとしていた両チームの抗争を諦め、逃避に走るシーンは見ていて辛かったです。トニーが親友の「リフ」を殺された怒りからマリアの兄「ベルモンド」を殺してしまい、その事実から逃げるためにニューヨークから脱出しようとする姿はどこか見苦しく思えました。マリアも最愛の恋人に最愛の兄を殺された事実に苦しみながらも、どうにか逃げるように選択する辺りに違和感を覚えましたね。

 自分の犯した罪の清算をしないまま、別の選択を取ってしまうのは少々無責任に思えてならないです。最終的にトニーが「チノ」に射殺されてしまう最期も、罪から逃げたことへのツケが回ってきたのかもしれません。マリアが劇中で「みんなの憎しみが彼らを殺した」と両チームに訴えていましたが、恋を前にその他を犠牲にしてしまったのもトニーの死因の1つだろう、と個人的には思えました。本作はそんな「目の前の感情に正直すぎるが故に、取れたであろう解決を選ばなかった者たちの悲劇」だったのかもしれません。

 

 ストーリーに関してはここまでにしておいて、次は肝心の映像について。こちらはやはりスピルバーグ監督によってとにかく派手なミュージカルシーンが多く観られたのが魅力だったと思います。1961年版と比べてもカメラワークとオーケストラの合わせ技が格段に進化しており、目と耳を圧倒するダンスと音楽を堪能出来ましたね。音楽が明るく楽しいものが多いのは原作同様。しかし本作はその明るさを強めることで、より楽しく見れるようにしていた印象を受けます。(余談ですが、個人的にはパーティー会場での「マンボ」とトニーの「マリア」のダンスシーンが好きですね)

 同時にジェッツとシャークスが対立する理由と世界観の背景をダンスと絡め、よりわかりやすく説明しているのが何より衝撃的でした。登場人物が躍っている様子を見ている内に、彼らの抱えている問題などがすんなりと伝わってくるのは素晴らしいことです。現代の視聴者に向けて、より簡単に世界観に没入出来るように調整されていたのだと実感します。そのおかげで全体的に暗いストーリーを最後まで見ることが出来ましたね。

 あとは原作でも有名なドック爺さんが既に亡くなっており、代わりに妻の「バレンティー」が登場した点が印象的。若者たちの理解者のポジションを大きく変更した理由としては、恐らくは「子どもたちの精神的な支えとなる“母性”」を強調していたのではないか?と睨んでいます。*2ともあれ面白い改変だとは思います。

 約2時間半にも及ぶ長い上映時間のおかげで映画館を出た後は心身ともに疲れ果てましたが、観ている間はずっと楽しめました。とにかく映像がド迫力なものばかりだったので、この映画をスクリーンで観られて良かったと心から思いましたね。

 

 

モービウス

 ソニー・ピクチャーズによるマーベル映画の1作。本来は2020年に公開するはずでしたが、2年以上もの延期を経てようやく日の目を見ることが出来た経緯を持っており、それ故これは見なければ!と思っていた作品でもあります。『ヴェノム』シリーズに続くヴィランを主役に据えた「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」の1作ですが、これまでの作品との繋がりはラストを除いてあまり見られませんでした。(その理由については最後に後述します)ただ、その分過去作の知識なしでも問題なく見れるという利点が生まれていたとも言えますね。

 内容に関してはシンプルなダークヒーローもの、という印象を受けました。実験によって吸血鬼のような力を得た主人公が、同じ力で悪事を働く親友と死闘を繰り広げる・・・・・・とてもわかりやすいストーリー展開が主軸となっています。作品における“捻り”といったものがほとんど存在しないので人によっては既視感を覚えるか、あるいは単調さが引っかかってしまうかと思われます。僕自身次に何が起こるのか、大体は予測できてしまいましたね。

 とはいえだからこその「見やすさ」に溢れていたのはある意味でこの作品の魅力だと思います。展開に多少大味な部分は見られるものの、テンポよく話が進んでいくので見ていて飽きません。アクションシーンなどが最たる例で、あっさり目なものの視聴している側があまり疲れない画作りが随所に見られました。(派手派手な映像表現が多い作品を多く観てきただけに、このシンプルさはかなり癒しでしたね)

 他にも主人公の「マイケル・モービウス」の性格が善良で、自分と同じ病気に苦しむ人々を救うために研究を重ね、その結果手にした異形の姿に苦悩する様子にはすぐに感情移入出来ました。上映時間が100分前後である点も含め、お手軽に楽しめるのは映画に仕上がっていましたね。

 他にもホラー&モンスターパニック要素がちょうどよかったのが個人的に好印象。吸血鬼と化したマイケルとその親友の「マイロ(ルシアン・モービウス)」がそれぞれ人々を襲うシーンは緊張感に溢れているものの、決して怖すぎない塩梅に仕上がっていました。ホラーが苦手な身としてはこの辺りは非常にありがたかったですね。

 

 そして本作の大きな評価点として人物描写が非常に丁寧だったことがあげられます。マイケルとマイロの対立が物語の大筋として描かれていますが、マイケルとマイロのそれぞれの感情がとても濃かったのが印象深いです。特にマイロはマイケルへの深い友愛を感じている一方で、生への執着と世間に対する強いコンプレックスを抱えている複雑な面が特徴的なキャラクターでした。マイケルと共に吸血鬼の力で好き放題したい、しかし理性を保つ彼を排除しようとする不安定さが目につきます。(この辺りの不安定さは幼少期の暴力的なシーンなどが挿入された時点で印象付けられましたね)同時に自分を虐げてきた世界に対する鬱憤も抱いており、マイノリティーによる復讐を担う存在として描かれていたようにも思えます。

 一方マイケルは最後まで自分の信じる倫理観の元吸血鬼の本能に立ち向かう姿が印象的でした。上述の通り一貫して罪のない人々のために行動しているので見ていて好感が持てます。そして自分だけでなく友人を止めるために尽力するものの、ヒロインの「マルティーヌ・バンクロフト」をマイロに殺されるばかりかそのマイロに自ら引導を渡す悲劇性が彼をより魅力的な主人公に仕立て上げていました。マルティーヌの願いから彼女の血を吸うシーン、そして息絶えるマイロを看取るシーンで2度泣かされます。本作はそんな「怪物になりきれない者の悲哀」も大きな特徴になっていましたね。

 

 そんな単品で楽しく見られた本作ですが、ラストに「エイドリアン・トゥームス/バルチャー」の登場によって余韻を一気に破壊されました。『スパイダーマン:ホームカミング』で登場したヴィランが、こちらのバースにやってきたというわけです。*3予告で登場することが示唆されていましたが、思ったよりもあっさりとした登場にはかえって驚かされましたね。改心したかと思われた彼が再び悪に手を染めようとしていることには少々ショックを受けましたが、懐かしのメカウイングを纏った姿で登場したシーンには不覚にもカッコいいと思ってしまいました。

 そしてエイドリアンが放った「この世界のスパイダーマン」の発言も衝撃的でした。本作のバースはヴェノムとはまた別のようでしたが、それでもスパイダーマンは存在しているということでしょうか。そのスパイダーマンは何者なのか、そして彼に対抗しようとするエイドリアンとマイケルはどうなっていくのか、気になる要素が多すぎて困惑が止まりません。少なくともマイケルは悪事を働くような人間ではないとは思うのですが、スパイダーマンと対立することには協力的な点も気がかりです。この辺りの謎は今後のシリーズの展開で明かされることを期待しておきたいですね。

 

 

 『ウエスト・サイド・ストーリー』などもそうですが、普段自分が見ないような作品を観るのも悪くないと思いましたね。好きなものばかりでなく、知らない世界に触れていくことで新しい世界が開かれたように思います。こういった開拓精神を持ち合わせながら、これからも映画を楽しんでいきたい所存です。

 

 

 ではまた、次の機会に。

*1:原作のミュージカルが『ロミオとジュリエット』から着想を得ているのは有名な話である。

*2:E.T.』のメアリーママなどスピルバーグ監督作品は「母親の強さ」のようなものを感じられる要素がいくつか見られると筆者は考えている。

*3:言うまでもなく『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の一件が関わっていることがわかる。また、恐らくピーターに関する記憶も無くなっていると思われる。