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メタレド的、印象に残った2022年アニメキャラ10選

 

 

 2023年に入ってからのアニメ生活、皆様は如何お過ごしでしょうか。それぞれにとってお気に入りの作品を見つけ、視聴を楽しんでいるころだと思います。僕も2月に入ったばかりの中、各作品への愛着を抱いてエンジョイしています。

 一方でこの時期になると昨年のアニメに関しても想いを馳せるようにもなります。特に各作品に登場した印象的なキャラクターは今でも鮮明に思い出せますね。それらのキャラに対して僕なりに思っていることや感じていることを吐き出すたくなることもあり、今回もそんな印象に残ったアニメキャラについての記事を立ち上げました。

 

metared19.hatenablog.com

↑昨年書いた記事については上を参照。

 

 さて各キャラについての話に映る前に、昨年書いた記事でははっきりと明言されなかったルールの説明をば。今回の記事は以下の条件を満たした作品から選出しています。

 

  • 2022年以内に初めて放送・上映された作品(再放送などは含めない)
  • 筆者が内容を8割以上視聴した作品
  • 当ブログで感想で書かれた作品

 

 さらにここから作品のテーマの理解や各キャラの造形、何より筆者の好み(←最重要!)を加えることで10作品から印象的なキャラを選びました。そのため一般的な視聴者の好みとは大きく異なる場合がありますがご了承ください。

 

 

 というわけで以下、印象に残ったアニメキャラ一覧です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルパン三世(『ルパン三世 PART6』)

 1番手は作品タイトルと同じ名前を持つルパン三世。『カリオストロの城』をはじめとした名作を次々と出してきた知らぬものなき伝説の大泥棒を選びました。昨年末には少年時代を描いた作品が公開され、さらに今年キャッツ・アイとの共演もあったなど、原作者のモンキー・パンチ氏亡き後も様々な作品が作られている中々に息の長いコンテンツとなっています。今回はその中2021年秋から2022年冬まで放送されていたテレビシリーズPART6のルパン(その中でも後半クール)を語っていきたいと思います。

 まずPART6後半クールのルパンで語るべきことと言えばトモエの存在は欠かせません。ルパンの母親を名乗り、ひいては最強の兵器として支配しようとした恐るべき女を追うのが後半のルパンの醍醐味でした。あのルパン三世でさえ翻弄されるという怒涛の展開の末、いつものルパン三世に戻っていったのは何とも味わい深いものがあります。それ以外にも様々な単発エピソードが盛り込まれており、良くも悪くも「雑多」という印象を受けたのが本作の特徴です。

 そんなPART6におけるルパンも実にバラエティ豊か。エピソードによって印象がガラリと変わり、まるで別々のキャラクターのように描かれていました。ひょうきんかつ親しみやすいおっさんかと思いきや、ダーティな手も辞さない生粋のアウトローにも変化するその様は、さながら変装上手の怪盗そのものです。上述のトモエとの戦いの際にもいくつかの顔を使い分け、時には敵も味方も視聴者も騙すなど、最後までルパンというキャラクターの本質を見せることはありませんでした。

 一体どれがルパンなのか?そういった疑問も湧いてくる内容でしたが、恐らくはどのルパンもルパンそのものなのでしょう。メタ的な視点になりますが、ルパン三世という作品は作り手によって様々な変容がされてきました。多くの人が知るルパン像と原作者が描いてきたルパン像ですら大きく乖離しているのが現状です。

 しかしそれらの内のどれかが間違っているわけではなく、どのルパンも作った人や見てきた人のルパンは正しいと個人的には思います。作品ごとに異なるイメージを持ち、如何様にも変化するのが、ルパン三世というコンテンツなのかもしれません。PART6のルパンはそんな異なるイメージのルパンをいくつも内包したものであり、その雑多さ・懐の広さをわかりやすく表していると言えます。そういった意味でPART6のルパンは「ルパン三世とは何なのか?」という問いに答えているのかもしれませんね。

 

 

橘日向&神宮寺司(『異世界美少女受肉おじさんと』)

 続けて「ファ美肉おじさん」の略称で知られる『異世界美少女受肉おじさんと』から橘と神宮寺の2人をチョイス。1作品からキャラ1人のルールから早速外れてしまいましたが、この2人は合わせて1つのキャラクターだと捉えているので今回限りの異例としてどうかご了承ください。そのためこの2人の関係性をメインに語っていきたいと思います。

 何といっても片方が美少女になってしまっている状況がこのコンビの醍醐味。それどころか愛の女神のせいで橘が魅了の呪いを受けてしまう展開には大いに笑わせてもらいました。「アイツは幼馴染で男なのに……」とも言うべき感情を見せては悶絶する関係は本当におかしかったです。橘に対する神宮寺の好感度が頭の上に表示される演出のシュールさ、その好感度を如何にして下げるかに四苦八苦するやり取りに本作の面白さが詰まっていたと改めて思いますね。

 しかしそれ以上に注目すべきは昔からの2人の感情でした。話が進むうちにお互いの憧れやコンプレックスが徐々に明かされていく中、橘も神宮寺も親友に対してかなり面倒くさい感情を持っていることが伝わってきたのが興味深かったです。加えて2人とも自己評価が恐ろしく低く、相手と自分を比べて卑屈になっていく描写が散見された辺りからも性別を抜きにして非常に複雑な関係を形成していました。劇中でシュバくんに指摘されたように、はたから見るとかなり不自然に思えるのがこの2人の異常性を表していると言えます。

 片や何でもそつなくこなすエリート幼馴染を羨み、片や他人との垣根を軽々超えられるヒーロー幼馴染に憧れていた……それを口に出さないだけでここまでこじれるのかと、終盤の展開を見た時は唖然となりました。魔王軍幹部に利用されたはずがいじけて大暴れする橘の面倒くささ、そんな状況でも中々本心を口に出さない神宮寺の面倒くささは折り紙付きだったと常々思います。

 だからこそ神宮寺が橘を褒めることで決着した最終回に爽快感を覚えました。どこまでも自分に否定的だった彼らに必要だったのは、大切な友人からの「肯定」の言葉だったことがわかります。自分の想いを肯定し、そして相手のことを肯定することで、ようやくこのバカップル(?)は前に進めたのだと感じましたね。

 

 

黒江(『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 Final SEASON -浅き夢の暁-』)

 2019年初頭から始まったアニメ『マギアレコード』。1期から2期の長いインターバルやそれまた長いインターバルを乗り越え、ついに2022年に完結しました。完結編である最終章は『まどか☆マギカ』の外伝であることを強く意識させるショッキングな展開が多く話題になりましたが、個人的に最も大きな衝撃を受けたのがアニオリキャラの黒江の存在でした。

 黒江は1期1話でいろはと共に戦う魔法少女として登場していたものの、それ以降は全くと言っていいほど登場せず、2期で様々な役割を担うもののそれでも本筋にはあまり関わらない子でした。しかし最終章にて明かされた過去といろはへの鬱屈とした感情、そしてそれら全てを解放したかのような魔女化エンド……自分を助けようとしてくれたいろはに解釈されるその瞬間まで、魔法少女の悲惨な運命を見事に体現してみせました。

 この黒江がここまで衝撃的だったのは、個人的には彼女の「普通さ」が大きく関わっていたと考えています。思えば彼女は1話の時点から魔法少女になる際の願いが「好きな人と付き合うこと」であったことを明かすなど、良くも悪くも凡庸な少女として描かれていました。(加えて物語開始時点で既に彼氏と別れていた辺り、「思春期の少女の目の前を優先する面」な部分を担っていたのかもしれません)終始魔法少女であり続けなければいけない境遇に嘆いており、普通の女の子ならまずそんな反応をするだろう、といった感覚で描かれていたように感じます。

 その普通ぶりは2期での再登場以降でも強調されており、他のメインキャラのようにいろはの隣に立てない様子が悲痛に映っていました。自分もいろはたちのような主人公になりたいのになれない……そんなもどかしさを抱えながら続く最終章でのいろはとのやり取りはあまりにも悲惨の一言。名前も知らない魔法少女を見捨てたことへの負い目と、正しくあろうとするいろはの輝きにあてられて耐えられなく様子は見ていられなかったです。

 物語の主人公が振りかざす正しさに憧れると同時に、その正しさの息苦しさから逃げ出したかった少女の描写としてこれ以上のものはなかったと思います。いろはを信じて魔法少女を続けなければいけないことに絶望し、魔女になることでそこから救われる流れには本当に驚かされました。魔女になる瞬間の全てを投げ出せた時のような晴れやかな表情、そして「私たちは正しさに殺される」という言葉こそ、黒江の「普通」を端的に表していると言えるでしょう。普通の人間は物語の主人公にはなれないし常に正しくあることも出来ない、黒江の存在はそんな悲しい想いを訴えてくれていたのかもしれません。

 

 

キサラ(『Engage Kiss』)

 何かと見逃せないオリジナルアニメが多かった2022年夏アニメ、その中でも個人的なイチオシがこちらの『Engage Kiss』。クズでヒモな主人公がヤンデレ悪魔と共に悪魔対峙に勤しむラブコメディとして展開された本作は、話が進むほどに明かされていく設定や各キャラの過去を見せてくれたので毎回驚かされました。そうして開示されていく情報と共に、登場キャラの印象がガラリと変わっていくのが物語の構成として実に巧みでしたね。

 その中でもひと際印象を変えていったのがメインヒロインのキサラ。上述の通り最初はヤンデレな少女として主人のシュウに尽くしていましたが、序盤の内からシュウに振り回される苦労人な一面が強かったキャラでした。モヤシ料理に力入れるわパーティー会場にタッパー持ち出すわと見た目は幼い少女が取る行動にしてはお労しい絵面ばかりだったのがキサラの妙と言えます。(しかしキサラ自身「日陰の女」になることを目指しているのが何とも……)

 ただこの時点ではまだヤンデレとしての体裁は辛うじて保っていたと思います。問題は3話以降、シュウとの契約内容が明かされてからは途端にシュウやその他の人物への負い目を見せていくことになりました。奪った彼の記憶に感情移入し、恋敵であるはずのアヤノへの罪悪感を抱いている姿には最早ヤンデレ要素のヤの字もありませんでした。シュウへの独占欲は持ち合わせているものの、他者への優しすぎる配慮がかえってキサラを苦しめていると思いましたね。

 そんなファッションヤンデレキサラの痛々しさは物語後半でさらに加速していきます。妹・カンナを取り戻すために大切な人の引導を渡し、記憶のほとんど失っていくシュウへの健気な対応には胸を締め付けられました。極めつけといえるのが11話ラストの記憶の返却。実は力の代償に自分の記憶を消費し、シュウの記憶はいつか彼に返すために残しておいたという事実には驚愕と同時に感動せずにはいられなかったです。自分以外の記憶がなくなったシュウが自分にすがる結末よりも、彼自身の幸せを願って自分を犠牲にしたキサラの優しさに涙が止まりません。ヤンデレかと思いきや苦労人、そこから優しい少女へと変貌していくヒロインには最後まで好感度が上がりましたね。
 結局最終回で一応の決着をつけ、シュウがカンナを取り戻したもののキサラの記憶は戻ることはありませんでした。あの優しい悪魔の少女はもういないと思うと寂しくなりますが、それでも記憶を失った後のキサラもシュウのことを好きになっていったのが救いでしょうか。カンナやアヤノとの恋のバトルに発展することになりましたし、最後にキサラは巡り巡って初期のヤンデレ悪魔のイメージに戻っていたと考えていきたいです。

 

 

エレオノール・ジョヴァンナ・ガション(『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』)

 『ストライクウィッチーズ』擁するワールドウィッチーズシリーズの一角である『ルミナスウィッチーズ』はアイドル要素を加えた異色の作品でしたが、いざ実際見た感想としては思った以上に楽しめました。戦わずとも人々を救う道がある「歌うウィッチの物語」として見事な出来の物語だったと思います。
 また本作に登場するウィッチたちはそれぞれ何らかの理由で戦線から外されており、そこから少女たちが新しい居場所を見つけ出すまでの過程を描く方向性に繋がっていたのも大きなポイント。戦うための存在としてのイメージが強かったウィッチから戦いの場を取り上げ、その先に何が残るのか、彼女たちは新しい役割を見出すことが出来るのかに着目していたように感じます。主人公のジニー(ヴァージニア・ロバートソン)はその中でも1クールかけてじっくり自分の居場所を確立させていくのが素敵でした。

 ただ個人的にはジニーよりもエリー(エレオノール・ジョヴァンナ・ガション)の方が印象深いと感じました。本編開始時点から音楽隊としての活動をしていたエリーは飄々とした態度で常に何かを食べているイメージが多い一方で、周囲へのフォローを欠かさない気配り上手と思い返せば結構優秀な少女だったと思います。何より全体を通して達観した視点の持ち主で、何かと本質を突いた発言をすることが多かったです。

 中でもエリーのメイン回とも言える第10話は、彼女の本質とそこにある「故郷」への想いが綴られていました。ネウロイの襲撃によって故郷ガリアを追われた過去と医療従事に徹する中で突然ウィッチになってしまった経緯、いずれも自分の居場所と役割の無意味さを強調していくような内容でした。戦えないのにウィッチになってしまった自分に価値があるのか……?そういった考えと諦めが彼女の現在の性格を形作ったと考えると中々にやるせないものがありますね。

 しかし同話で描かれたジニーとのやり取りとそこに繋がるガリアの再訪、そして別れた猫との再会を果たすことでエリーにも確かな答えが出たのが素敵でしたね。どんな答えであれ、自分の意志で選んで未来の可能性を広げていく様子を描いたのは何とも情緒に溢れていると思えます。その後のジニーとモフィの別れを後押ししてしまったことへの後悔を抱いたものの、エリーの選択は間違いではなかったと最終回を見た後でははっきりと言えることでしょう。

 

 

雪村あおい(『ヤマノススメ Next Summit』)

 今年でそろそろアニメ10周年を迎えようとしている『ヤマノススメ』。その4期である『Next Summit』は色々な意味で素晴らしい作品となっていました。30分枠になったことや作画クオリティの進化などもありますが、何より1期から3期までで積み上げてきた要素を重ね合わせたような、集大成とも言うべき内容だったと思います。主人公のあおいがこれまでの経験と出会ってきたものを胸に、1つの完成を見せてくれたことには本当に感動しました。

 あおいはそもそもが人付き合いの苦手なインドア趣味の内気な少女。それが幼馴染の日なたの再会から始まり、以降多くの人たちとの出会いを経て登山の楽しみに目覚めていくのが見ていく様子は見ていて何度もほっこりさせられました。性格的にも本来の積極性を取り戻していき、最終的には誰かを引っ張るくらいにまで成長していくのが素敵でしたね。(要所要所で見せる辛辣さには笑いましたが)

 しかし一方で辛い展開があったのも忘れてはいけません。中でも印象的なのはやはり2期での富士山回でしょう。高山病でリタイアせざるを得ない状況に追い込まれ、その時の苦痛が山に登ることへの拒否感となってしまう過程は当時見ていて本当に胸が痛みました。次の回では登山のワクワクと取り戻していって一件落着したものの、この作品における苦々しい経験として劇中の人物と視聴者それぞれに大きな印象を残していったと思います。

 そんなこともあり、Next Summitでの富士山リベンジには情緒を揺さぶられました。再び高山病の兆しを見せたところでハラハラさせられたものの、ひなたに支えられながら見事御来光を拝むことが出来た時には思わずボロ泣きしてしまったほどです。その後の観測所まで登るシーンの道のりも含め、清涼感に満ちたリベンジを見ることが出来ましたね。

 加えて富士山がゴールではないことを、劇中のあおい自身が悟るくだりも興味深かったです。ここまで登れたのはこれまでの様々な積み重ねの結果であり、富士山登頂も1つのピースだった……この答えにはグッとくるものがあります。ここから始まる未来への試金石として、富士山の経験を活かしていくであろうあおいの姿を想像するだけで不思議とワクワクさせられますね。楽しいことも辛いこともあったけど、最後までくれば爽やかな心地に包まれるまさに登山のようなアニメ体験を、あおいはもたらしてくれたのではないかと思います。

 

 

鬼札アバク(『デュエル・マスターズ キングMAX』)

 当ブログで最も読まれているであろうデュエマアニメの感想。僕自身数ある作品の中でも印象的な感想シリーズになっており、中でも2022年は長年追ってきた切札ジョー編が完結したということで色々と込み上げてくるものがあります。約5年半に渡って少年の夢を描いたような物語を見せてくれたジョーの姿には、何度も憧憬のような感覚を味わいましたね。紙のデュエマ復帰のきっかけになってくれた点でも、かなり思い入れの深いシリーズです。

 そんなジョーの物語の最後の敵になったのが鬼札アバク。初登場の頃とは異なり、本作の彼はあまりにもお労しい少年として描かれていたのが印象深いです。全ての元凶であるジェンドルに嵌められ、幼馴染のヒミコにも裏切られるなど日曜の朝からとんでもないNTR展開に満ちた過去をお出ししてきた時には驚きました。(一応別冊コロコロの漫画で知っていたのですが)家では父に虐待され、学園でも裏切りに遭うなど悲惨で妙に生々しい過去だったと記憶しています。

 そんな奪われるだけの人生を送ってきたせいか、キングMAX本編では他人から奪ってばかりの行動に出ていたのがまた悲劇的でしたね。ジョーからデッキーとジョーカーズ星を失わせるというショッキングな展開を1話目から披露し、その後もデッキーから力を奪うために彼を散々苦しめた辺りにはかなりヘイトが溜まりました。同時に傷つけられたせいで傷つける以外に自分を示せない……そんな被虐待児を見ているかのような憐憫を抱かずにはいられなかったです。

 しかし終盤になってヒミコから想われていたことやジョーがそれでもアバクを救おうとするなど、彼への救済ルートが構築されていくかのような展開には驚きました。1人ぼっちだと思われたアバクにも、仲間や救ってくれる人が残されていたことには震えます。のちにアバク自身も、自分が欲しかったのは「普通の学園生活」であることに気付いてジャオウガと共に鬼の槍に離反する流れにはさらに感動させられます。これまで鬼として見られていた少年が、そういった呪縛から脱して自分自身を見つけることが出来たのです。

 この辺りの展開は原作漫画との違いがまた興味深いですね。漫画版ではアバクは最後まで悪辣な敵としてジョーに立ちはだかり、生き残ったもののそのまま倒されてフェードアウトしてしまっています。漫画とアニメとで異なる結果を生むことになったのは、ひとえにアバク自身の変化にあったのでしょう。漫画版は鬼のまま開き直ってしまったことで、誰からも救われずに終わってしまったのではないかと思われます。だからこそ自分は鬼ではなくアバクという個人であることに気付き、救われたアニメの最後がより尊いものとして見ることが出来ますね。ジョーが王来学園に入学したことですし、本編後のアバクには彼らと共に楽しい学園生活を送ってほしいものです。

 

 

ポップ(『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』)

 2019年から再アニメ化され、2022年に完結したアニメ『ダイの大冒険』。新型コロナウイルス東映のハッキング事件など現実での様々な困難に見舞われながらも、最後まで無事放送しきれたことには大きな驚きと感動を抱くばかりです。原作を知っている身としては、あのシーンが見事なまでにアニメになっていることに毎回感激したほどです。

 ダイ大は登場キャラのほぼ全員が熱く印象的な活躍をしていたのですが、1人を挙げるとしたらやはりポップを選びますね。幼くも勇敢な少年であるダイに対して、ポップは最後まで「等身大の一般人」を代表していたと思います。序盤の臆病者を乗り越え、少しずつ困難に立ち向かう勇気を獲得していく様子には見ていて何度も勇気づけられました。後半に進むにつれ侮れぬ爆発力を発揮して本当に一般人代表か?と思うところもありましたが、どこか俗っぽいところが親しみやすかったです

 そんなポップの最大の試練とも言えるのがしるしを輝かせるくだり。ミナカトール発動のためにアバンのしるしの輝きを使う必要がある中、ポップだけがしるしを輝かせることが出来ずに苦悩する過程は胸に来るものがありました。自分だけがみんなと違うという、劣等感や疎外感に苛まれる様子は見ていて本当にいたたまれなかったです。

 しかしそれを乗り越えてからはしるしを輝かせる成長を見せ、以降の戦いで何度も活躍するのもあってカタルシスが凄まじかったですね。中でも真バーンとの戦いで何度も絶望の淵に立たされながらも、それでも必死に戦って生き抜こうとする気概を見せてくれるシーンは原作で知っていたもなおのこと感動させられました。閃光のように」は彼を代表するセリフだったと言っても過言ではありません。

 弱いところも情けないところもあるものの、いざという時は決して逃げない強さを見せる……当人曰く「臆病で弱っちいタダの人間」のままで大きく成長したのがまさにポップなのだと、アニメを見ることで改めて知ることがことが出来ました。そしてそんなポップが友達だったからこそ、ダイは最後まで人間の味方である勇者として在り続けたことも読み取れます。あまりにも当たり前で真っ当な正義と勇気は気持ちがいいことを、ポップはストレートに魅せてくれていました。ダイの大冒険がここまで語り継がれること、何よりポップが伝説的なキャラクターであることが、このアニメで再確認出来た気分です。ポップの魅力を十二分に引き出してくれたアニメには感謝してもしきれないですね。

 

 

犬王(『犬王』)

 2022年も様々なアニメ映画が公開されましたが、個人的に最も良かったと思える作品の1つが『犬王』。名前以外の資料がほとんど残っていない伝説の猿楽師「犬王」を主役に据えたミュージカル映画でしたが、猿楽の枠組みを取っ払った演出の数々には最後まで魅了されました。中でも主人公である犬王のキャラクターは特に印象に残っています。

 何といっても本作の犬王はその「異形」が最大の特徴です。腕2本分の関節を持つ長大な右腕と顔に貼りついた左手のアンバランスさをはじめとして、まるで物の怪のような出で立ちをしていました。(顔はひょうたんのようなお面を被って隠していましたが、各所に散りばめられた描写からどうなっているのか何となく読み取れるのが面白いところ)劇中で当初は多くの民衆に奇怪な目で見られていたのも納得と言えます。

 興味深いのは当の犬王はそんな自分の姿を嘆くことも怒ることもなく、むしろ誇りに思っていた点。もう1人の主人公である琵琶法師の友魚(ともな)とのやり取りでも右腕の芸当を見せびらかしており、この体だからこそ出来ることを気に入っている様子でした。この自分を決して恥じないさっぱりとしたキャラクターこそ、犬王の魅力だと思います。そして友魚たちと共に作った一座でこの体を駆使した演舞を見せる瞬間こそ、彼の人生の絶頂期だったのかもしれません。

 しかしその犬王の人生は進むごとに右肩下がりに落ちていくばかり。演舞を重ねることで異形の原因である平家の呪いが解け、普通の体に戻っていく度に彼の表情には陰りが見えていました。民衆からの支持を受け有名になっていく過程は一見して成功に思えますが、その実彼はかつての体とそれでこなせた演舞が失われていくことを惜しんでいたように感じます。足利義満の前で踊ることになった際に「これが最後になるかもしれん」と友魚に呟いていたシーンは、自分の栄光が終わることを薄々察していたとも読み取れますね。
 その後は義満に自分たちの踊りを異本として禁じられ、友魚を処刑される始末。異端ぶりで好評を博した犬王は、最終的に南北朝統一を目指す者たちによって凡庸な猿楽師にまで堕とされました。(普通の舞をこなす犬王の感情が死んだような顔は忘れられません)彼にとってこれがどこまでの無念だったかは推して知るべしです。

 そんな諸行無常な生前を描いた後、600年後の現代で死した犬王と友魚が再会するシーンで本作は終わりますが、両者が出会ったばかりの姿に戻るのが重要なポイント。かつての異形に戻ってまで友魚と共に踊り奏でる犬王の様子は実に晴れ晴れとしていました。これは彼にとってはこの異形こそが全盛期であり、これこそが自分だという叫びでもあったのかもしれません。我らはここに在り」と謡い続けた犬王でしたが、その中で見失っていた自分たちの普通を取り戻していくことで、彼らの物語は完遂したのだと思いたいです。

 

 

ウタ(『ONE PIECE FILM RED』)

 ラストはジャンプ漫画のワンピースの劇場版からウタをチョイス。昨年の夏から今年の1月末まで公開された『FILM RED』のキーパーソンとして登場した少女ですが、公開前からあのシャンクスの娘ということで話題になったことも思い出深いです。加えて紅白歌合戦などの音楽番組にも出演するなど、その存在感は映画の一ヒロインにはとどまらないほどでした。

 そんなウタですが、映画本編でのキャラクターは色々と衝撃的でしたね。序盤こそルフィの幼馴染として彼との気兼ねないやり取りにほっこりさせられたのですが、話が進むにつれ不穏の影が徐々に姿を見せてからは、彼女の歪みとも言える死生観に慄くことになりました。現実が苦しいなら夢の世界でみんな過ごせばいいという、言ってしまえば壮大な無理心中を行おうとしていたくだりには何度もゾッとさせられます。無邪気かつ純粋な性格と想像力が、ここまでの常軌を逸する者へと変貌したことには恐怖を覚えるばかりです。

 さらにウタをそうした道へと進ませることになった過程がまた悲劇的。最初こそ自分を見捨てたシャンクスへの憎しみを抱いていたと思われたものの、エレジアでの惨劇の原因は全て自分であることを本編開始前から知っていたことには思わず絶句してしまいました。彼女は既に自分が大勢の人を不幸にしていたことを知っていたからこそ、その贖罪のために人々を救おうと躍起になっていたのだとわかると、途端にウタという少女の救われなさにかえって涙することなりました。

 同時に歌うことで多くの人々と繋がったことも彼女を追い詰めた原因になっているのが悲惨でしたね。ファンのみんなの負の情念を知ったうえで彼らも救おうとするものの、わかってもらえないことには見ていて本当に悲しくなりました。彼女にとって現実は苦しく逃げ出したくなるほどのものだとわかった今、空想の世界に救いを求めるのも仕方ないと思ってしまいます。

 大海賊時代の負の側面を一心に受けてしまった悲劇の少女こそウタのキャラクターでしたが、最後の最後にシャンクスやルフィと再会出来たのはいくらかの救済だったかと思いたいところ。人々を解放して自分なりにケジメをつけ、会いたかった人と言葉を交わすことは出来たのは間違いなくウタにとって救いだったと思います。中でもルフィに麦わら帽子を返すシーンは印象的で、彼が夢の果てで為そうとしている「新時代」に自分の夢を託したのではないかと考えます。世界の歌姫としてではなく、ただのウタとして家族や幼馴染と過ごせたことには意味があると信じたい……そう思わせるほど感情移入させられたヒロインでした。

 

 

 というわけで各アニメキャラについてのコメントでした。また例によってとんでもない長さになってしまいましたが、何とか書きおさめることが出来てホッとしています。振り返ってみると、過去作やこれまでのエピソードも含めたうえでの要素も多く、付き合いの長かったキャラほど愛着を覚えたように感じましたね。長いこと追ってきて終わった作品も多かったので、そういった意味でも印象に残ったのではないかと思われます。

 また2022年アニメキャラの中から10キャラ分だけ選ぶのにも難儀しました。去年も色々なアニメを見てきましたが、そのどれもが魅力的で印象に残るキャラが多かったからですね。惜しくも選ばれず次点となった候補をざっと挙げるだけでも……

 

 

 こんだけいます。10選の中から選ぶことが出来なかったものの、上記のキャラたちも非常に印象的かつお気に入りのキャラだとここで言っておきたいです。(無論ここに書き出されなかった作品にも印象に残るキャラが存在します)

 それはともかくこれ以外のアニメ作品も含めると、2022年は実に多くのアニメを見てきたのだなぁ……と感慨を覚えるものがありますね。2023年も多くのアニメを見ていくことになるのでしょうが、彼ら彼女らに負けないどんな印象的なキャラに出会えるのでしょうか。そういったことを楽しみにしつつ、ひとまずはここで筆を置かせていただくことにします。

 

 

 ではまた、次の機会に。